初恋の甘い仕上げ方
今、「紗和」と言った。
五年ほど前にマスコミで騒がれた彼女を、翔平君は今でも気遣っているとわかる。
それに、これまで翔平君が恋人と一緒にいるところを見たことはあっても、名前を呼び捨てにするのを聞いたことはなかったと、今頃気付いた。
声音の優しさや、抵抗なく「紗和」と呼び捨てにする様子からも、ふたりの関係の親密さを感じた。
私が就職活動中の大学生で、自分の将来を考えることだけで必死だったあの頃。
翔平君にとっては仕事で大きな賞を獲ったあと、つぎつぎ舞い込む仕事にやりがいを見出していたに違いないあの頃、三崎紗和さんとの噂がマスコミを賑わせた。
その後あの事故にあい、仕事に関してはマイナスの影響はなかったとはいえ、翔平君と彼女との噂が途絶えた。
あの事故を境にふたりに大きな変化があったのだろうか。
今、私の隣りでのんびりコーヒーを飲んでいる翔平君は、当時を思い出しているようには見えないけれど、本当はどうなんだろう。
今でも三崎紗和さんのことが心に残っているのだろうかと、切ない気持ちが生まれたけれど、意外なことに、それは私の心を微かに揺らしたあと、すぐに消え去った。
テーブルに並んで座る私と翔平君の距離はお互いの体温を感じられるほどに近く、視線を向ければすぐそれに応えてくれる。
「ん? 萌は昔からよく食べるし、貧血に縁はないよな。エビフライ、何尾食べたんだ? さっき小椋君からも分けてもらってただろ?」
翔平君は『紗和』とつぶやいたのと同じ、落ち着いた声で私の顔を覗き込む。
そして、エビフライを食べ終えたお皿と、私の口元を交互に見たあと、紙ナフキンを手に取った。
あ、もしかして、また。
紙ナフキンを持った翔平君の手が私の口元に近づくのを見ながら、今日もタルタルソースが私の口元を彩ったに違いないと確信する。
きっと、子どもの頃の私を思い出して心の中で笑っているのだろう。
からかいがちな翔平君の瞳を見てもそれは明らかで、私は口元を翔平君に近づけ、その手元を待った。
「あまり化粧をしてなくて良かったな。こうして拭いても拭かなくても、子供の頃のままだ」
「……すみませんね。変わらなくて」
私の口もとをきれいにしてくれた翔平君は、そのまま私の耳元に唇を寄せる。
そして、人前で何をするのだろうかと驚く私に構わず小さな笑い声を上げた。