サマーノウト
――
曲が終わったとき、すでに夕陽は海に沈みきっていた。
夜の空気が、街を包んでいる。
「君が聴いたのは、これだろう?」
彼はヴァイオリンを構えるのをやめ、面白そうにあたしを見た。
あたしといえば、いともたやすく糾われた音符の美しさに心を奪われていて。
「…綺麗な曲」
そう呟くので、精いっぱいだった。
「良かった」
彼はヴァイオリンをそばに置いていたヴァイオリンケースに戻し、蓋を閉め、マリンの白い毛並みに指を通す。
ひそやかな余韻が、浜辺のあちこちに煌めいていた。
「俺、将来作曲家になるからさ。そう言ってもらえて嬉しいよ」
「…なれますよ。あたしが保証します」
「作曲家の世界は厳しいから、どうなるかわからないけどね」
じゃあ、そろそろ帰るから。
彼はそう言ってヴァイオリンケースを持ち上げた。
「多分もう、この街には来られないけど…いい街だった。楽しかったしね」
「あたしもです。頑張って下さいね」
紺色の中で、あたしは名前も知らない彼と別れの言葉を交わす。
「じゃあ。マリンちゃん、可愛かったよ。リードは離さないようにね」
リードをしっかり握りしめて、あたしは、砂浜を去っていく彼に手を振った。
闇の中で、手が振り返される。
その時あたしは、ワンピースが砂だらけだったことを思い出しマリンを叱った。
砂浜には、海の音だけがそよいでいた。