十一ミス研推理録2 ~口無し~
 エレベーターを降りて車に辿り着くと、文目が運転席、貫野が助手席に座った。十一朗は自ら扉を開けて後部座席に座る。これが覆面パトカーでなかったら、完全に十一朗は注目の的だ。
 貫野が部下に耳打ちされた住所を文目に伝えると、車は静かに動きはじめた。
 外観ではパトカーと誰も気づかないだろう。しかし車に入ると、世間と離れた別世界だ。時折、無線連絡の会話が入ってくる。
 貫野は我慢していたタバコを一本出すと、遠慮なしに吸いはじめた。
 密閉された車の中で、高校生がいるのに堂々とタバコを吸うのは、刑事にしてみたらどうかと十一朗は思う。まるで当たり前のように、文目が運転しながら窓を開けた。
「後ろにガキがひとりいるってのが、落ち着かねえ……本来ならひとりで乗せねえからな」
 貫野のぼやきに、文目が微かに笑って「普通なら護送ですからね」と答えた。
 捕まえた犯人を乗せた時は逃げると困るので、当然、隣に刑事がひとりつくことになる。後部座席に刑事でもない者がひとり乗るなどということは、ほとんどといっていいほどない。
「俺は何度かあるよ。けど、父さんの乗ってた車より、こっちのほうが席硬いかも」
 さらりと言った十一朗を相手に、ミラーに映っている貫野が目を細くした。
「悪かったな……どーせ俺らはキャリア組じゃねーよ。ちょっと待て、ここで停めろ」
 目的地に着く途中で貫野が文目に指示した。困惑した表情で文目が車を停める。
「ここで待ってろ。この時間帯は、ここが一番出るんだ」
 言って貫野は車を降りると、視線の先にあるパチンコ店に入っていった。
 貫野が言った「朝から晩までお勤め」の意味は、どうやら俵井はパチンコ店の常連だということらしい。
 それにしてもと十一朗は思う。一番出るとわかっているのだから、貫野もここの常連なのかもしれない。無言なのが気になったのだろう。文目がちらりと十一朗を見た。
「先輩、暴力団組員の事情聴取もよくやってるから、そっち系に顔がきくんですよ。イタチの貫野って呼ばれているみたいですけどね」
「イタチって……」
 十一朗は座席に深く腰かけた。イタチは警察用語で『素早い刑事(巡査)』の意味だ。階級を言われるのを嫌う貫野なので、その愛称はきっと不本意に違いない。
 その瞬間だった。一人の男がパチンコ店から転ぶのではないかという勢いで飛び出してきた。直後に貫野が追いかけるように出てくる。
 それを見て文目が降りようとするが、十一朗を見た。いくら刑事部長の息子といっても、覆面パトカーにひとり、置いておくわけにはいかないからだ。
「車出して、繁華街に逃げる気だ。行く手を車で阻もう」
 十一朗に言われた後の文目の行動は早かった。アクセルとブレーキ、ハンドルを機械的に動かしてユーターンし、繁華街側に走らせる。この技術は貫野と常に行動することで叩きこまれた、彼の特殊能力なのだろう。
 俵井と貫野は網のように入り組む小路に駆けこんでいた。
 十一朗が窓を開けて二人の位置を確認しようとすると、追いかける貫野の怒鳴り声が聞こえてきた。こうなるといつも煩い貫野の地声は役に立つと思う。
 貫野の怒号を頼りに、十一朗は文目に車の向かう方角を指示した。
 追いかけられた時、人間は無意識のうちに逃げる方向を選択することが多い。左折する可能性が高いのだ。血液を循環する重い臓器、心臓が左寄りにあることと、軸足が左足であることが理由ではないかといわれている。
 そんな計算された予測と追い詰めによって、一本の路地に車を駐車した途端に、俵井が突っこんできた。慌てて逃げ場を探そうとしていたが、追いついた貫野が車の側面に叩きつける。
 体がぶつかる鈍い音とともに、俵井が言葉にならない唸り声をあげた。相当の衝撃だったのだろう。苦痛で顔を歪ませながら、貫野に目を向けた。
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