十一ミス研推理録2 ~口無し~
 関心を示した貫野と文目が血痕を真剣に見つめる。が、何が変なのかわからないらしく、顔をあげると十一朗と鑑識員を見た。
「血糊を拭き取ったような跡があるだろ? それとここにある円状の跡……これって、靴の跡じゃないかな」
 十一朗の説明に貫野が首を傾げる。しばらくして「そうか」と声を出した。
「ハイヒールのかかとか!」
 言って貫野は自問自答の決着を脳内でつけたのだろう。息を荒げると十一朗を見た。
「犯人は女か……」
 立ったり座ったり忙しいなと感じながら、十一朗は首を縦に動かした。
 十一朗は確証を得るために、更に事件の奥底に迫ろうと考えた。
「あと殺された男の写真は?」
 十一朗の質問に鑑識が答えるよりはやく、貫野は「そのことだけどよ」と続けた。
「あの綾花って子に、升田の顔を知っているか確認してほしいんだが、これでもかってくらい、苦しんで死んだ顔しててよ。とてもじゃないが見せられねえ。だからお前も同じだ」
 十一朗は貫野を見た。そしてまた呆れた。その反応に貫野が眉間に皺を寄せる。
「俺、なんかおかしなこと言ったか? なあ」
 後ろにいる文目が首を横に振って答えた。だが、その反応は間違っている。
「今の発言、監察医の前で言わないほうがいいよ。恥をかくだけだから……これは、監察医も言いたがらない知識なんだけどさ。苦しんで死んでも安らかな顔になるんだよ。死んだ途端に人の筋肉は弛緩するから……だけど唯一例外があって、物凄い形相のまま死ぬ時があるんだ。それが『激しい怒りのなか』で死んだ時」
 文目が感心して息をついた。貫野は虚空を見ると抑えこんだ気持ちを発散させるように叫んだ。 
「かー……まじで、こいつどうにかしてくれ。高校生にここまで言われたら、自分が馬鹿なんじゃないかって思えてくる」
 聞いた鑑識が愉快そうに高い笑い声をあげた。しかし十一朗は推理が的中したことで、天狗になるよりも、貫野の言葉で現実を理解した。
 父さんが俺と係るのが嫌になった理由は、きっと。
 あの日、男が犯人だと知って推理を語った時の周囲の目、父と母の驚いた表情。あれは凄いという感服の目ではなく、近寄り難いという畏縮だったのではないか。
 そんなつもりはなかった。言わなければ良かったのか。息ができなくなるのではないかと錯覚するほど、胸が締めつけられた。苦しみを耐え切れずに空を見上げた。
 漆黒の闇の中に輝く星たちが、永遠の時を唄いながら語りかけてくる。
 いつでも父の隣にいたいと考えてきた。優秀な刑事になりたいと背伸びをし続けた。
 小学校低学年でありながらも、警察関連本に興味を示した。法医学、科学捜査、刑法……時を惜しんで読み漁り続けた。
 そんな時に起こったあの事件――。
 しかし、あの日から時はとまったままだ。自分の将来がつかめなくなってしまった。本当になりたいのは探偵なのだろうか。そんな疑問が浮かぶ時もある。
 実際、現場にいられるのは探偵ではなく刑事だ。が、そこには十一朗の嫌う柵の世界がある。
 近づいていた父との距離が、逆に一気に遠ざかってしまったという悲愴感。
 空を見上げたまま十一朗は深呼吸した。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「本当に借金相手だけの関係だったのかな……何か違う気がする」
『激しい怒りのなかで死んだ時』は憎悪のような感情が滲み出た時ではないだろうか。
 殺された男と、とどめを刺した者の関係は、金の貸し借りでは収まらない親密な仲だったのではないか。
 十一朗の中でいくつもの疑問が浮かんでは消える。難問に首をひねり続ける十一朗の横で貫野が唸った。
「くそ、関係者が全員『口無し』じゃ話にならねぇな」
 口無し――被害者は死亡、被疑者は意識不明、被疑者との関係が疑われる八木綾花も事件との関連を否定。もし捜査本部を開設するなら、『○○口無し殺人事件捜査本部』となっても不思議ではないだろう。
「貫野警部補。この事件、安易な気持ちで臨んだら、完全に迷子になると思うよ。多分、意識不明の男が覚醒しても真実は語らない」
 貫野が、文目が、鑑識員が、十一朗を一斉に見た。貫野が息を呑んでから、十一朗に向かって訊いた。
「確証は?」
 全員が十一朗の答えに注目する。満天の星空を眺めて精神統一した十一朗は答えた。
「刑事の息子の勘だよ」
 両親が弁護士の貫野は妙な笑い声を出すと、懐を探って煙草を取り出した。
 が、現場保存を思い出したようで、大きな息をついてから隣にいる文目を殴りつける。
 そんな二人を見ながら、きっと何十年たっても変わらないんだろうなと考えて、十一朗は深い息を吐いてしまった。
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