十一ミス研推理録2 ~口無し~
「君のお父さんが亡くなっていたなんて、はじめて聞いたよ」
人には語りたくない過去がある。綾花もそうだったのだろう。しかし、彼女は否定するかのように首を振った。
「父が亡くなったのは、私が小学生になる前です。父は深夜まで仕事をしていましたから、思い出は悲しいことに少なく……それよりも、なんで母が嘘をついていたのか」
「嘘?」
「事故で死んだと聞きました。殺されたなんて一度も聞いていません」
「小さい子供に話すのは気が引けたのかもしれない。多分、大人になってから教えようとしたんだと思うよ」
女手ひとつで育ててきてくれた母がついた嘘。綾花にとっては、父の死の真相を知るよりも、そちらのほうが重苦を伴う衝撃を受けたのだろう。
十一朗は記事の続きを読んだ。
『ひとり死亡。ひとり重体。犯人は逃走中』重体の男の氏名が載っていた。『和田繁樹(しげき)』。
「八木、和田って名前に心当たりは?」
これにも綾花は首を横に振った。彼女は何ひとつ真実を知らされてはいない。
綾花に隠し通した母の嘘。十一年前の事件には何かが隠されている。和田繁樹という男の素性を調べる価値があるかもしれない。
十一朗は携帯を取り出した。事件の詳細を忘れないように、十一年前の記事の写真を撮った。そして、貫野に連絡してみることにする。
しかし、いくら鳴らしても反応はなかった。出られないほど忙しいということなのだろうか。そろそろ留守番電話サービスに繋がるかなと思った時、通話音が切れて貫野の声が響いた。
「誰かと思えば、お前か。ちょうど掛けようと思っていたところだ」
お互いに都合がよかったということか。それにしても受話器の向こうが騒がしい。一課にいるのだろうか。文目のちょっとした声が混在してきた。
「駄目ですよ先輩! その登録名、見つかったら首切られますよ。バカ息子って……」
十一朗は息を吐いてしまった。裕貴が貫野を巡査部長と登録していたのだから、何となく予感はしていたが。十一朗も貫野警部補ではなく、登録名を変更しようと思った。
「ちょうど掛けようとしたところって? 何か進展でもあったのか?」
質問に「またため口かよ」と貫野が愚痴る。もう耳にたこができるほど聞いた。今更だ。
「意識不明の男が覚醒した。あと、お前んとこの部員の母親が取調室で事情聴取を受けている。あとは升田の所持していた盗難品だ。宝石は中国に転売する予定があった。かなりの高額値の買い取りだ」
それは捜査一課も慌ただしくなるはずだ。通行不可だった三本の道が同時に開通してしまったのだから。
「今は八木にそのことは伝えない。いや、伝えられないよ。あと、会えないか? 焙煎コーヒーの喫茶店、覚えてる?」
これに電話向こうの貫野は敏感に反応した。高い笑いを一声だけ出す。
「なにか見つけたって感じだな。いいぞ、こっちもそれなりの土産話を用意してやる」
思いがけない貫野の言葉に、十一朗は耳を疑った。変わった。いつからだ――?
そうだ。父に進路の話をした後からだ。父が裏で糸を引いているのかと考えたが、そんなことはないはずだと否定した。息子といっても一般人に話すなどありえない。では――。
「あのさ、貫野さん」
「積もる話は会ってからだ。切るぞ。携帯料金払ってんの、親父さんの給料からだろ」
聞く前に貫野は電話を切った。変なところで気が利くのだなと十一朗は思った。
裏で糸を引いているのは刑事部長の父ではない。おそらく、きっと――。
「裕貴、俺さ。進路変えてよかったと思うよ。まだ、なんとなくだけど」
携帯をしまいながら裕貴に話しかける。しかし、なぜか睨みつけられた。意味がわからない。なんとか不機嫌な理由を思い出そうとして、数刻前の映像が思い浮かんだ。
あれだ。綾花に抱きつかれた時の、裕貴の鬼のような冷酷な形相。
そして、ワックスが妙な笑みを浮かべながら十一朗の肩を叩く。そして耳元で囁いた。
「なあ、彼女の胸当たんなかった? どんな感触だったよ?」
「変なこと訊くなよ! あれは不可抗力」
「オッケーって、そういう意味じゃなかったのか?」
そういえば、そんなことを言った気がする。動揺して適切でない発言をしていたのだ。裕貴が怒るのも間違っていない気がする。
振り返ると裕貴は歩きだしていた。とはいっても、会話は聞こえていたのだろう。足は焙煎コーヒー店に向かっている。
「ちょ、待てって裕貴」
慌てて十一朗は裕貴を追いかけた。幼馴染みなだけに、怒らすと怖いことは重々承知している。とにかく謝罪して、機嫌を直してもらわないことにはかなわない。
追いついたと思った瞬間、裕貴が振り返った。鬼のような形相は消えていた。
「謝って、大和撫子って言ってくれたら、許してあげてもいいよ」
思わぬ裕貴の願いに十一朗は唖然とするしかない。男として絶対服従なのは、どうなのだろうかと理性が叫んだ。
「取り敢えず、ごめん。あと……馬鹿なこと言ってないで、喫茶店いくぞ」
無理やり裕貴の手を引いて反転する。そして、父の死の真相を聞いて落ちこんでいる、綾花の手もつかんだ。
行き先は喫茶店。真実はきっと酷なものだろうが、目を閉じるわけにもいかない。
「大丈夫。俺たちミス研はいつでも八木の味方だし、みんな家族同然ともいえる仲間だ」
追いかけてくるワックスの声が、何となく哀愁を漂わせていた。
人には語りたくない過去がある。綾花もそうだったのだろう。しかし、彼女は否定するかのように首を振った。
「父が亡くなったのは、私が小学生になる前です。父は深夜まで仕事をしていましたから、思い出は悲しいことに少なく……それよりも、なんで母が嘘をついていたのか」
「嘘?」
「事故で死んだと聞きました。殺されたなんて一度も聞いていません」
「小さい子供に話すのは気が引けたのかもしれない。多分、大人になってから教えようとしたんだと思うよ」
女手ひとつで育ててきてくれた母がついた嘘。綾花にとっては、父の死の真相を知るよりも、そちらのほうが重苦を伴う衝撃を受けたのだろう。
十一朗は記事の続きを読んだ。
『ひとり死亡。ひとり重体。犯人は逃走中』重体の男の氏名が載っていた。『和田繁樹(しげき)』。
「八木、和田って名前に心当たりは?」
これにも綾花は首を横に振った。彼女は何ひとつ真実を知らされてはいない。
綾花に隠し通した母の嘘。十一年前の事件には何かが隠されている。和田繁樹という男の素性を調べる価値があるかもしれない。
十一朗は携帯を取り出した。事件の詳細を忘れないように、十一年前の記事の写真を撮った。そして、貫野に連絡してみることにする。
しかし、いくら鳴らしても反応はなかった。出られないほど忙しいということなのだろうか。そろそろ留守番電話サービスに繋がるかなと思った時、通話音が切れて貫野の声が響いた。
「誰かと思えば、お前か。ちょうど掛けようと思っていたところだ」
お互いに都合がよかったということか。それにしても受話器の向こうが騒がしい。一課にいるのだろうか。文目のちょっとした声が混在してきた。
「駄目ですよ先輩! その登録名、見つかったら首切られますよ。バカ息子って……」
十一朗は息を吐いてしまった。裕貴が貫野を巡査部長と登録していたのだから、何となく予感はしていたが。十一朗も貫野警部補ではなく、登録名を変更しようと思った。
「ちょうど掛けようとしたところって? 何か進展でもあったのか?」
質問に「またため口かよ」と貫野が愚痴る。もう耳にたこができるほど聞いた。今更だ。
「意識不明の男が覚醒した。あと、お前んとこの部員の母親が取調室で事情聴取を受けている。あとは升田の所持していた盗難品だ。宝石は中国に転売する予定があった。かなりの高額値の買い取りだ」
それは捜査一課も慌ただしくなるはずだ。通行不可だった三本の道が同時に開通してしまったのだから。
「今は八木にそのことは伝えない。いや、伝えられないよ。あと、会えないか? 焙煎コーヒーの喫茶店、覚えてる?」
これに電話向こうの貫野は敏感に反応した。高い笑いを一声だけ出す。
「なにか見つけたって感じだな。いいぞ、こっちもそれなりの土産話を用意してやる」
思いがけない貫野の言葉に、十一朗は耳を疑った。変わった。いつからだ――?
そうだ。父に進路の話をした後からだ。父が裏で糸を引いているのかと考えたが、そんなことはないはずだと否定した。息子といっても一般人に話すなどありえない。では――。
「あのさ、貫野さん」
「積もる話は会ってからだ。切るぞ。携帯料金払ってんの、親父さんの給料からだろ」
聞く前に貫野は電話を切った。変なところで気が利くのだなと十一朗は思った。
裏で糸を引いているのは刑事部長の父ではない。おそらく、きっと――。
「裕貴、俺さ。進路変えてよかったと思うよ。まだ、なんとなくだけど」
携帯をしまいながら裕貴に話しかける。しかし、なぜか睨みつけられた。意味がわからない。なんとか不機嫌な理由を思い出そうとして、数刻前の映像が思い浮かんだ。
あれだ。綾花に抱きつかれた時の、裕貴の鬼のような冷酷な形相。
そして、ワックスが妙な笑みを浮かべながら十一朗の肩を叩く。そして耳元で囁いた。
「なあ、彼女の胸当たんなかった? どんな感触だったよ?」
「変なこと訊くなよ! あれは不可抗力」
「オッケーって、そういう意味じゃなかったのか?」
そういえば、そんなことを言った気がする。動揺して適切でない発言をしていたのだ。裕貴が怒るのも間違っていない気がする。
振り返ると裕貴は歩きだしていた。とはいっても、会話は聞こえていたのだろう。足は焙煎コーヒー店に向かっている。
「ちょ、待てって裕貴」
慌てて十一朗は裕貴を追いかけた。幼馴染みなだけに、怒らすと怖いことは重々承知している。とにかく謝罪して、機嫌を直してもらわないことにはかなわない。
追いついたと思った瞬間、裕貴が振り返った。鬼のような形相は消えていた。
「謝って、大和撫子って言ってくれたら、許してあげてもいいよ」
思わぬ裕貴の願いに十一朗は唖然とするしかない。男として絶対服従なのは、どうなのだろうかと理性が叫んだ。
「取り敢えず、ごめん。あと……馬鹿なこと言ってないで、喫茶店いくぞ」
無理やり裕貴の手を引いて反転する。そして、父の死の真相を聞いて落ちこんでいる、綾花の手もつかんだ。
行き先は喫茶店。真実はきっと酷なものだろうが、目を閉じるわけにもいかない。
「大丈夫。俺たちミス研はいつでも八木の味方だし、みんな家族同然ともいえる仲間だ」
追いかけてくるワックスの声が、何となく哀愁を漂わせていた。