十一ミス研推理録2 ~口無し~
「お茶は持ってきてくれるから、菓子はここにあったかな……あ、遠慮せずに座って」
 社長に言われて十一朗は、学校の校長室にもないような高級ソファーに座った。
 次にノックがすると扉が開いて、事務員が茶を置いていってくれる。ほぼ同時に社長が菓子を出した。渋い茶に相性がいい落雁(らくがん)だ。
 いつもなら遠慮せずに口に入れてしまいそうなワックスも、今日ばかりは緊張した面持ちで金縛り状態になっていた。
「さてと、どこから話せばいいのかな……十一年前の事件を綾花ちゃんが知らないと聞いて、ちょっと驚いたよ。私が会っていた頃の綾花ちゃんは、まだこれくらいの大きさだったな……もう高校生か。そんなに経つんだなぁ」
 社長は記憶を掘り起こすように息を吐くと、茶を飲んだ。
 倣うように十一朗と裕貴、ワックスも茶を飲む。香りがいい。味も舌に残るような渋さではなく、溶けこむような深みのある上品な味だ。高い茶を淹れてくれたんだなと十一朗は思った。
「輸送車が襲撃されたと聞きました。八木のお父さんが命を落とし、同乗していた男性も重傷を負ったと……事件の犯人はまだ捕まっていないんですよね?」
 十一朗の質問に、社長は首を縦に振って答えた。社員の写真を額にまで入れて飾っている社長だ。事件発生の概要を聞いた衝撃はかなりのものだったであろうと想像できた。
「貴重品を運ぶ輸送車は襲われやすいからね。安全対策は万全のはずだった。けれど車載カメラは、どういうわけか壊れていたんだ。出る直前のチェックでは壊れていなかったんだけどね。だから犯人の顔もわからないままだ。今思うとそれだけが悔やまれるよ」
 愛していた者の死、そして犯人逃走中。遺族にとってこれほどつらい仕打ちはないだろう。 十一年もの間、八木の母は娘に語らず胸中に抑え続けていたのだ。
 何故、車載カメラが壊れていたのか。社長も長い時間事情聴取されたに違いない。殺人事件は関係者全員を不幸にする。考えるだけで胸が痛んだ。
「物がなくなるのはまだいいんだよ。だけど人の命はね……八木くんは奥さんと子供の写真をよく見せてくれたな。償いにはならないだろうけど、おりた保険から奥さんに渡したんだ」
 それを言った後、社長は「あっ」と声をあげた。何か思い出した様子だ。
「和田さんにも子供がいたはずだ。同じくらいの年で、確か病気だって言ってたな。治療費がかかるから、できるだけ残業させてくださいって頼まれたっけ」
 和田繁樹のことが社長の口から出た。声を出したことから、警察には話していない内容だろう。世間話から出る記憶の断片。これは大きな収穫のような気がした。
「和田さんも被害者なんですよね。ということは、彼にも保険金の一部を?」
「ああ、渡したよ。治療費に役立ててくれって言ってね。けれどいい顔はしなかったな。当たり前か、目の前で親友の八木くんが殺されたんだから……」
「失礼だと思いますが、渡した金額を教えていただけないですか」
「一千四百万だと思うよ。重傷だったし、子供の治療費にと言ってね。小切手を見て驚いていたな。こんな大金をと返されそうになったが、では子供の病気が治ったら返金してくれよと言って押し返したんだ」
 十一朗が渡した金額を聞いたのには訳があった。そして推理の中の金額が一致した。
 十一年前の借り『七百万円』。升田と和田で分け合うとその金額になる。
 社長は更に続けた。
「けれど、直後に彼の居場所がわからなくなって音信不通になった」
 貫野の予想が当たっている気がした。升田は和田から金を受け取るつもりだった。しかし、途中で気が変わって逃げたのだ。妻も子も全てを捨てて――。
 これが命懸けで共犯を守る男のしたことなのだろうか。和田の裏の顔に疑問が残るとともに、憤りを感じた。
 掘り起こした十一年前の事件の時間がとまる。すると、ワックスが身を乗り出した。
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