十一ミス研推理録2 ~口無し~
十一朗の指示に貫野は「ああっ?」と声をあげた。すぐに舌を鳴らして反論する。
「なんで俺が……それにお前が言いたいことは大体わかるよ。相手の左後頭部を殴打。つまり犯人は左利き。そう言いたいんだろう?」
さすがにこれは貫野も気づいたらしい。凶器が絡んだ殺傷事件が起きた場合、切りつけられた方向で犯人の利き腕を判断することが多い。それは基本といってもいい。
犯人が右利きで正面から切りつけた場合は、傷は被害者から見て左上から右下の斜線状になる。左利きならその逆だ。それは棒を使っての攻撃も変わらない。
相手の背後から襲いかかり、左後頭部を殴打したのなら犯人は左利きだ。
「遺書を書いた時、インクは乾いていなかったはずだ。証拠に遺書の文字が擦れていて、あの人の左小指についていた。つまり、その場で慌てて書いたってこと。刺し殺して、すぐに遺書を書き、逃げきれないと踏んで電車に飛びこんだ……」
そこで十一朗は一段落おいた。一気に話すと整理できないだろうと思ったためだ。
「それで、文字が掠れていた遺書を見て、奴の手を確認しやがったのか」
貫野は先程の十一朗の行動を語ると、腹立たしそうに歯噛みした。
「はい、犯人は左利き。その場で遺書を書きながら歩いてよ。あっちが踏切」
実践しろと言われた貫野は、その代理を無理やり文目に押しつけた。
変にプライドの高いこの男は、犯罪者であり自殺した男の真似を自分がするのが許せないらしい。
嫌そうな顔をする文目を相手に、貫野が「行け」と言うように目配せで合図した。
「何で僕が……」文目はそう言いながら、渋々歩きはじめた。犯人は左利き――実践なので左手にペン、右手に紙切れを持ちながら、文目は文字を書き込んでいく。
左利きではない文目は遺書を書くのに苦戦していたが、十一朗が踏切と指差した通路の突き当たり近くまで進むと、動きをとめた。
書き終えたけど……というような素振りを見せて振り返る。
「書けたなら、前の話を踏まえて動いてみてよ。左小指に書いた遺書のインクを付けて、遺書を握り潰してから、左ポケットに入れる」
十一朗の指示に、貫野がまず気づいて「そうか」と叫んだ。文目もどうすればいいのかわからずに四苦八苦している。
そう、どう考えても左利きでは、この一連の作業をうまくできないのだ。ところが右利きなら、容易にこの作業を完了できる。
「奴は右利きか。で、殴った奴は左利き……どうなってんだ?」
証拠はある。『私が殺しました。申し訳ありません。責任を取って死にます』という遺書が――ところが、遺書を書いた本人と相手を殴った者の利き腕が違う。
「あーっ、くそっ。また掻き回してくれやがって……どうやら高校生名探偵殿は、相当、俺たちに仕事を与えたいらしいな」
自らの頭を乱暴に掻き回した貫野は、重い息を吐いた。手は煙草を探そうとしているが、ここは病院内だ。禁煙だと気づいたのか手をおろした。
その時、病室から裕貴と綾花が出てきた。
先程見せた動揺が嘘のように、綾花の表情は落ち着いている。自力で歩き、流れていた涙も腫れていた瞼も感じさせないほど、冷淡な面持ちに変わっていた。
綾花の表情を見て十一朗は矛盾した印象を持った。変わりすぎているのだ。天使が悪魔になったのか、今鳴いたカラスがもう笑ったのか。
貫野も不審感を抱いたのだろう。意識してなのか、真正面から話しかけるのではなく、綾花を横目で睨むような視線で話しはじめた。
「電車に飛びこみ自殺して、大した怪我もなく生きているんなら奇跡だな。どうやら頭を打って倒れこんだらしい……うまいこと、線路の間に倒れこんで、電車と地面の隙間に挟まれた。気絶したから助かったようなもんだ。その時に変な動きをしたらお陀仏だった」
言葉を選んで貫野は話したのだろうが、相変わらず口調は荒い。しかし、この説明を綾花は真剣に聞いていないように見えた。
本題に入るつもりなのだろう。貫野が大きく息を吸う。
「で、隠す必要もないから、単刀直入に訊かせてもらう。奴の名前と住所を教えてくれ。身分証も持ってないし、前歴もないみたいで困ってんだよ」
貫野の質問に綾花は顔をあげると、首を大きく横に振った。
「言えないってのか? 隠すと警察に行くことになるぞ」
貫野の忠告に、また綾花は首を横に振る。そして、皆が耳を疑うことを告げた。
「知らないんです。私はあの人を知らない……一体、誰なんですか?」
全員が顔を見合わせた。
『私が殺しました。申し訳ありません。責任を取って死にます』の遺書を残した謎の男。
そして、利き腕違いの謎――。
謎の男と接点がないはずの新入生八木綾花に伝えられた、自殺未遂事件――。
今回の事件も簡単には終わらない。
場にいる全員が難事件になると確信した中、文目が困ったような声をあげながら、掌に握っていた紙を後ろポケットに押しこんだ。
部下の妙な動きが気になったのか、貫野が文目の腕をつかんで紙を取り出す。文目は変な抵抗をしたが、貫野の権力には及ばなかった。
取り出された紙は、自殺未遂をした男の行動を実践した文目の遺書とされるものだ。
貫野は文目が書いた遺書を開いた。十一朗も気になって覗きこむ。
すると、そこには
『上司との付き合いで、つかれました』という妙に現実的な内容が記されていた。
十一朗が、これ絶対に殴られるなと確信したと同時に、貫野の渾身の右手刀が文目の脳天に叩きこまれていた。
「なんで俺が……それにお前が言いたいことは大体わかるよ。相手の左後頭部を殴打。つまり犯人は左利き。そう言いたいんだろう?」
さすがにこれは貫野も気づいたらしい。凶器が絡んだ殺傷事件が起きた場合、切りつけられた方向で犯人の利き腕を判断することが多い。それは基本といってもいい。
犯人が右利きで正面から切りつけた場合は、傷は被害者から見て左上から右下の斜線状になる。左利きならその逆だ。それは棒を使っての攻撃も変わらない。
相手の背後から襲いかかり、左後頭部を殴打したのなら犯人は左利きだ。
「遺書を書いた時、インクは乾いていなかったはずだ。証拠に遺書の文字が擦れていて、あの人の左小指についていた。つまり、その場で慌てて書いたってこと。刺し殺して、すぐに遺書を書き、逃げきれないと踏んで電車に飛びこんだ……」
そこで十一朗は一段落おいた。一気に話すと整理できないだろうと思ったためだ。
「それで、文字が掠れていた遺書を見て、奴の手を確認しやがったのか」
貫野は先程の十一朗の行動を語ると、腹立たしそうに歯噛みした。
「はい、犯人は左利き。その場で遺書を書きながら歩いてよ。あっちが踏切」
実践しろと言われた貫野は、その代理を無理やり文目に押しつけた。
変にプライドの高いこの男は、犯罪者であり自殺した男の真似を自分がするのが許せないらしい。
嫌そうな顔をする文目を相手に、貫野が「行け」と言うように目配せで合図した。
「何で僕が……」文目はそう言いながら、渋々歩きはじめた。犯人は左利き――実践なので左手にペン、右手に紙切れを持ちながら、文目は文字を書き込んでいく。
左利きではない文目は遺書を書くのに苦戦していたが、十一朗が踏切と指差した通路の突き当たり近くまで進むと、動きをとめた。
書き終えたけど……というような素振りを見せて振り返る。
「書けたなら、前の話を踏まえて動いてみてよ。左小指に書いた遺書のインクを付けて、遺書を握り潰してから、左ポケットに入れる」
十一朗の指示に、貫野がまず気づいて「そうか」と叫んだ。文目もどうすればいいのかわからずに四苦八苦している。
そう、どう考えても左利きでは、この一連の作業をうまくできないのだ。ところが右利きなら、容易にこの作業を完了できる。
「奴は右利きか。で、殴った奴は左利き……どうなってんだ?」
証拠はある。『私が殺しました。申し訳ありません。責任を取って死にます』という遺書が――ところが、遺書を書いた本人と相手を殴った者の利き腕が違う。
「あーっ、くそっ。また掻き回してくれやがって……どうやら高校生名探偵殿は、相当、俺たちに仕事を与えたいらしいな」
自らの頭を乱暴に掻き回した貫野は、重い息を吐いた。手は煙草を探そうとしているが、ここは病院内だ。禁煙だと気づいたのか手をおろした。
その時、病室から裕貴と綾花が出てきた。
先程見せた動揺が嘘のように、綾花の表情は落ち着いている。自力で歩き、流れていた涙も腫れていた瞼も感じさせないほど、冷淡な面持ちに変わっていた。
綾花の表情を見て十一朗は矛盾した印象を持った。変わりすぎているのだ。天使が悪魔になったのか、今鳴いたカラスがもう笑ったのか。
貫野も不審感を抱いたのだろう。意識してなのか、真正面から話しかけるのではなく、綾花を横目で睨むような視線で話しはじめた。
「電車に飛びこみ自殺して、大した怪我もなく生きているんなら奇跡だな。どうやら頭を打って倒れこんだらしい……うまいこと、線路の間に倒れこんで、電車と地面の隙間に挟まれた。気絶したから助かったようなもんだ。その時に変な動きをしたらお陀仏だった」
言葉を選んで貫野は話したのだろうが、相変わらず口調は荒い。しかし、この説明を綾花は真剣に聞いていないように見えた。
本題に入るつもりなのだろう。貫野が大きく息を吸う。
「で、隠す必要もないから、単刀直入に訊かせてもらう。奴の名前と住所を教えてくれ。身分証も持ってないし、前歴もないみたいで困ってんだよ」
貫野の質問に綾花は顔をあげると、首を大きく横に振った。
「言えないってのか? 隠すと警察に行くことになるぞ」
貫野の忠告に、また綾花は首を横に振る。そして、皆が耳を疑うことを告げた。
「知らないんです。私はあの人を知らない……一体、誰なんですか?」
全員が顔を見合わせた。
『私が殺しました。申し訳ありません。責任を取って死にます』の遺書を残した謎の男。
そして、利き腕違いの謎――。
謎の男と接点がないはずの新入生八木綾花に伝えられた、自殺未遂事件――。
今回の事件も簡単には終わらない。
場にいる全員が難事件になると確信した中、文目が困ったような声をあげながら、掌に握っていた紙を後ろポケットに押しこんだ。
部下の妙な動きが気になったのか、貫野が文目の腕をつかんで紙を取り出す。文目は変な抵抗をしたが、貫野の権力には及ばなかった。
取り出された紙は、自殺未遂をした男の行動を実践した文目の遺書とされるものだ。
貫野は文目が書いた遺書を開いた。十一朗も気になって覗きこむ。
すると、そこには
『上司との付き合いで、つかれました』という妙に現実的な内容が記されていた。
十一朗が、これ絶対に殴られるなと確信したと同時に、貫野の渾身の右手刀が文目の脳天に叩きこまれていた。