キスより甘くささやいて
いつものように鎌倉高校前で江ノ電を降りると、坂を登る。
実家は無くなっているから、今日は海沿いのホテルに宿泊する予定だ。
いつも右手に見える颯太と暮らした家は
綺麗さっぱり無くなって更地になっていた。
私は立ち止まる。
「うそ」と唇が動くけど、声が出なかった。

ものすごく贅沢な、ちょっとよそよそしい家だったけれど、
大切な場所だった。
でも、仕方ない。
颯太は家を処分することにしたんだろう。
急にお金が必要になったのだろうか?
もう、フランスに行ってから2年半経っているのだ。
颯太が何を思っているのかもう分からないってことかな。
私は自分で、別れを決めたくせに、
颯太の好意に甘えて、結婚したつもりでいたけど、
この2年半ずっと、連絡を絶っている。
颯太に私のことは気にしないで、仕事をして欲しいって思っていたからだ。

そっか。
別れた時には覚悟していたことだ。
私は颯太をずっと愛している。
それだけで良かったはずだったよね。
涙は出なかった。
私は顔を上げて、気持ちを切り替える。

そうだった。
私は何も変わらない。
坂を登りきって、海に向かう長い階段を降り始めた。
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