うちの嫁
実家に帰らせて頂きます___。
書き置きがございました。机に広げられた、シーツの上にのさばる墨汁。嫁の魚拓ならぬ、顔拓が鮮明に残されているだけではありますが、信明が書き置きだと言ってききません。
嫁は、出て行ってしまいました。
「僕はミルキーの実家に行って、頭を下げてくるよ。構ってやれなかった僕が悪いんだ。迎えに行って2人で暮らす。母さんには申し訳ないが、なんだか___凄く元気そうだし、おいおい同居するってことで」
「私のことは構わないわ」
それより、何かが生えると元気に見えるのかしら?
翼が痒くて仕方がないけど、なかなか手が届かない。こんな時、嫁はあの不気味な手で掻いてくれるのだけれど。
でもこれで、心置きなく飛ぶ練習ができる。左だけではバランスが難しいが、コツがつかめないこともない。我が息子ながら、早く帰らないかと思っていたら、一緒に迎えに行ってくれという。
情けないことと翼を揺らしたけれど、可愛い息子の頼み。
嫁を実家まで迎えに行くことになりました。
「ここら辺だったんだけどなぁ」
信明が参ったと頭をかきます。
てっきり動物園だとばかり思っておりましたが、辺りは山山々。鬱蒼とした森で2人、途方に暮れるしかありません。
あゝ、痒い。
背中が痒い。
断りを入れてから、翼を広げました。葉が、木が、森が、山が揺れ、めくれ上がった緑の下に、嫁の一族が隠れておりました。それはもう、血走った目をしております。
そのうち一匹の、まだ生まれたばかりのような小さな猿が、何かを投げました。
糞です。
石であり、枝であり、言葉であり、刹那でありが一斉に向かってきます。
わたくしは事も無げに翼で我が身を包(くる)みました。側では信明であろう悲鳴が聞こえます。しばしの後、翼を、今にも飛び立たんばかりに伸ばしました。
石であり、枝であり、言葉であり、刹那でありが一斉に山にかえっていきました。元あるところへ。うまれたところへ、かえっていきました。
目の前に、嫁が立っています。