うちの嫁
「一目惚れなんだ」
信明がビールを飲みながら言いました。ノドが鳴るそばで、ミルキーがツバを飲み込みます。ちらし寿司をそれは見事に撒き散らして食べた彼女はしかし、ビールはダメだと釘を刺されました。
その時の暴れようといったら。
襖は蹴破られ、テーブルは二回ひっくり返し、テレビをなぎ倒し、それは竜巻のよう。最後にビール瓶を掴みましたが、信明がじーっと睨むと、その場におとなしく座りました。
少し可哀想になったので、デザートに残しておいた九弦堂のザッハトルテを切り分けてあげたんです。チョコレートの深い香りが、この嵐が過ぎ去ったような居間に広がり、ミルキーは手を叩いて喜んでいます。
はい、どうぞ。
けれどミルキーはお皿に添えてあった銀色のフォークを掴みました。
だって、いくら手掴みだからといっても、礼儀というものがあるでしょう。決して厭味などではないんです。私は厭味ができるほど、頭が良くないですもの。
光の加減で輝くフォークをかざしていたけれど、なんとザッハトルテを刺したんです。きっと動物園でもいつお嫁に行ってもいいように躾されてたんでしょう。
そのまま大口を開けて食べるかと私も信明も思ったけれど、ミルキーはフォークごと壁に叩きつけました。
___上下関係。
早苗さんの腫れぼったい唇を思い出しました。
「母さん、彼女に花嫁修業をしてやってくれないか?」
信明は再び正座しています。真摯な眼差しで私を見つめ、頼まれた当人はアグラをかいている。
「でも、お父さんが__」
「父さんが帰ってくるまでに、一人前にしてやってほしい」
一猿前だろうと思ったけれど、それも余計なこと。主人が仕事でしばらく家を留守にする間を狙ってきたとすぐわかりました。
「よろしくね、ミルキーさん」
私は手こそ出さないけれど、友好的な嫁姑関係を築くには申し分のない笑顔で声掛けをすると、うちの嫁は鼻くそをほじりながら痰(タン)を床に吐きました。