優しい歌 ※.。第二楽章 不定期亀更新

4.それぞれの新しい生活 -咲夜-


紫音先生の口添えで、
伊集院邸から通学することになった
神前悧羅学院悧羅校高等部。

共学とは名ばかりの男女別々の校舎と教室。

共学の授業の時のみ、
男女別の校舎を繋ぐ通称「天の川」と言う橋の
入り口の扉が開いて行き来が可能になり
専用の部屋で男女共通の授業を行う時間。

そんな風変わりな学校へ通いながらも、
放課後は真人や穂乃香のことが気になっていた。


真人が数日間の入院を経て、
退院した後は檜野瞳矢と言う幼馴染の家で
一緒に生活を始めた。


悧羅に転入を決めたときから、
一緒に住む覚悟で日本に来た俺は
予定が狂ってしまい穂乃香が住む家へと
転がり込ませてもらっていた。


慣れない日本での生活に戸惑いながら、
学院と伊集院邸を往復する日々。

そして時折、檜野の家へと真人を訪ねる。


そんな生活を続けていた。


真人の幼馴染と言うのが、
檜野瞳矢と言ってグランドファイナル出場
間違いなしと言われていた
俺のライバルになってたかも知れない存在。


ショパンの音楽を好む存在で、
ピアノコンクールに出場する時は
いつもショパンを選んでいるみたいだった。


檜野は地区大会本選に出場して
本来、演奏するはずだった曲目を左手のみで演奏しようとした。

だが左手のピアニストのようにはなりきれない。
それでも必死に片手だけでその世界観を表現用としていたけれど、
その精神力は途中で途切れてしまった。

そしてそんな檜野をフォローするように舞台へと駆け上がった真人。
真人の音色が重なることで、檜野が表現したかっただろう世界観は作り上げられた。

だが檜野はALSと言う難病を発症して、
地区大会本選を突破することは出来なかった。

そんな檜野のピアノコンクールが終わったその日を境に、
部活が忙しいからと言うのを大義名分に、
穂乃香は俺のピアノに触れることをピタリとやめた。

そんな穂乃香が気になって少しでもピアノに戻らせたくて
大会用の楽譜を渡すものの穂乃香はそれでも動こうとしなかった。

夜九時頃、俺は伊集院邸の自室で
パソコンを立ち上げて国臣さんと回線を繋げる。


「お疲れ様です。
遅くなりました」

自身もピアノの前にたって、
楽譜を譜面台に広げた。

日本とウィーンの時差は八時間。
日本の方が八時間早い。


「咲夜、エルも来たことだし
今日のレッスンを始めようか」

国臣さんの声に俺は気を引き締めた。


「なら、まず指慣らし。
頭を柔らかくしたいからショパンの幻想即興曲Op.66で
セッションから行こうか」

一発目から幻想即興曲……。

エルの課題に両手の柔軟運動をやりながら、
最初の位置へと鍵盤をゆっくりおく。

エルの合図が入り、
国臣さんが最初にフレーズを奏で始めた。

そのフレーズを受けて、小節をカウントしながら
脳内の楽譜をおいかける。

国臣さんからエルへとバトンがわたり、
エルから次、俺にバトンが続く。


リレー形式で少しずつ追いかけると、
その後は三台のピアノで三人が合奏していく。


それを合図に、エルからの指示が飛ぶ。


「ジャズアレンジ」


それを受け止めて国臣さんが
すぐにジャズ用に音符を散らばせるように演奏していく。

その変化を受けながら、
俺も包み込むように低音の部分は残しながら
高音部分で遊んでいく。

ジャズに即興でアレンジしながらも、
ショパンの綺麗な音のライン起承転結は、
崩さないように音符を書き足していくように。


指は伸ばして、脱力が基本。


少しでも気を抜いたら、
置いて行かれる取り残される恐怖を感じながら
ただひたすら反射的に奏で続ける美しい調べ。


最後まで何とか追い付くように演奏し終わった後、
俺は鍵盤から指を話して一息ついた。


国臣さんがインペリアルで奏でる表現力に飲まれそうになる。


「国臣、最後、感情が高ぶっているのはわかるけど
他の音色とのバランスをもう少し考えようか。

咲夜、君はまだ脱力が足りないな。

国臣のアレンジに必死についていこうとする心意気は
伝わってくるけど、君はついていくだけかい?

何時まで、国臣の陰に隠れてるのかな?
君の実力はそれだけじゃないだろう」


エル先生の言葉が容赦なく突き刺してくる。


その後も一時間、エルにレッスンをつけて貰って、
そしてさらに一時間、部屋で演奏を続けた。


まだまだ未熟すぎる俺自身を叱咤するように。


朝が来て、またいつもの新しい朝が始まる。


その日、俺は放課後に穂乃香を巻き込んで
檜野家へと行くことを予定していた。

一人ではきっかけがないと乗り込むことが出来ない、
檜野瞳矢の自宅。

真人が今暮らすその場所で様子が見たかった。


悧羅校でいつもの授業を受け終わると、
穂乃香が通う聖フローシアへと向かった。


フローシアの最寄り駅で携帯を取り出して
穂乃香へと電話をかける。


「今どこ?」

「学院の近くの喫茶店よ。
友達の穂積といるの」

「今、フローシアの最寄り駅にいるんだけど」

「えっ?どうして?」

「檜野の家、様子見に行きたいんだけど、
お前もどう?って思ってさ」

「あっ、うん。
行く……」

「なら、駅で待ってるよ」



穂乃香の言葉を受けて、
とりあえず第一のステップが成功したことにホッとする。

今の穂乃香が、檜野のもとへ行くことに了承するかどうかが
最初の課題だった。


「咲夜、私の親友の穂積よ。

穂積、こちら私の幼馴染にも近い存在。
咲夜。

ほら穂積は私のパパがピアニストだって知ってるわよね。
咲夜は羽村冴香さんの息子さんなの」


羽村冴香の息子。
俺を紹介する時に、必ずついてまわる母の名声。

同じように、偉大な父親、伊集院紫音の名声が
ついてまわる穂乃香。


「初めまして
崎田穂積です。

先日のリサイタル、楽しませて頂きました」


穂乃香の友人は当たり障りなく、
挨拶を切り返してきた。


「そりゃ、どうもっ……。
じゃ、行くか。穂乃香」



適当にあしらう様に、
わざと軽いノリで返事をすると、
背後から、『ごきげんよう』と
脱力しそうな挨拶が聞こえてくる。


穂乃香をエスコートするように
ホームへと向かい、
檜野家の最寄り駅へと運んでくれる電車へ乗り込んだ。

混雑する車内、
電車の揺れで倒れてきそうになる穂乃香を何度も支えながら、
エスコート。

約20分の移動時間をやり過ごして、
檜野家の最寄り駅についたころには、
穂乃香は少し疲れてそうに見えた。


電車を降りたホームから二階へと一度上がり、
改札口から出ると、目の前のコンビニで飲み物を購入して
穂乃香へと手渡す。

コンビニの近くの洋菓子店でケーキを購入し、
それを手土産に檜野家へと向かう。

暫くすると、
穂乃香が携帯を取りだして
檜野の家へと電話をしているみたいだった。


「えっと、今、お邪魔したくて近所まで来てるの。
いってもいいかしら?」


何かを話していた穂乃香の目から、
次第に涙があふれだす。

電話を切ったタイミングで、
穂乃香に声をかける。


「何、泣いてんだよ」

「咲夜には関係ないよ。
瞳矢君の声が聞けたのが嬉しいの。

暫く、私が電話しても、
電話に出てくれなかったんだよ。
 
そんな瞳矢君が電話に出てくれたの。
嬉しいに決まってるでしょ」

「はいはい。
なら、そういう事にしといてやるよ」

 
暫くは泣き止みそうにない穂乃香に、
俺はポケットからハンカチを取り出して差し出した。

穂乃香が深呼吸をして落ち着くのを待って、
再び檜野の家へと向かう。

檜野の家の前では、
真人と檜野が俺たちを待っていてくれた。


「穂乃香、いらっしゃい。
それに……」

「羽村咲夜、真人の従兄弟だよ。
今は穂乃香さんの家で居候させてもらってるんだ。

伊集院先生の許可を貰って」


檜野の出迎えられた俺は、
自己紹介を告げる。


「どうぞ、中に入って」


檜野の言葉で、
俺たちは檜野家へと入らせてもらった。


通された檜野の自室。

部屋の中には、
ショパンが愛したプレイエルのグランドピアノ。

少し前まで演奏されていたのは明らかだった。


「今、真人と合奏してたんだ。
プレイエルにはショパンが似合うよねー。

真人、凄いんだよ。

ブランクがあって初見の曲も多いのに、
ボクが演奏したい曲をあわせてくれる。

穂乃香も一緒に弾かないか?

雨だれとかどう?
右手では思うようにできなくなったけど、
左手はまだ自由に動かせるから」


そう言って檜野は真人の話題を切り出しながら、
穂乃香を誘うけれど穂乃香はそれでも演奏を拒絶した。


「瞳矢のピアノを聴かせて」


穂乃香はそうやって答える。
それが今、そこで泣いてしまっていた穂乃香の
精一杯の強がりなのだと感じる。


「なんだよ。

浩樹だけじゃなく、
穂乃香も一緒に演奏してくれないんだ。

なら咲夜君、君は?」


穂乃香だけじゃなく、
以前から檜野のピアノ仲間だったらしい
飛鳥浩樹も演奏をしようとしていないのが推測できた。


檜野が俺に声をかけてきたタイミングで、
俺も遠慮をするつもりはない。


「雨だれ?いいよ。
何だったら、革命とか黒鍵でも」


一台のプレイエルの前に二人並んで座る。


右手が使えない瞳矢は必然的に低音パートが多い
左側へと腰かける。


雨だれの前奏曲。


最初のフレーズは、
両手のフレーズを左手一本でカバーできるように
アレンジして奏で始める檜野。



そんな檜野の演奏を受けて、
俺は両手で右側の立ち位置から
楽譜をなぞる様に追いかけていく。


そしてそこへとアレンジを即興で加えながら、
檜野の奏でる音色を重厚なサウンドへと誘っていく。


だけと檜野のサウンドに飲まれようとは思わない。

雨だれの前奏曲から始まって、
次に俺が弾き出したのは革命のエチュード。


その革命にも檜野は俺の意図を組むように
楽譜内の重要な音だけを拾い出して、
左手で重ね始めた。

久しぶりに高揚する感覚が俺を包み込む。


それは真人と昔、神楽おばさんのピアノで奏でた
リストのラ・カンパネラのように。


「瞳矢、少し真人とピアノ貸してもらってもいいか?」

俺は檜野へとことわりを入れる。


檜野が頷いたのを見届けて、
今度は檜野を傍で見つめる真人へと声をかけた。


「真人、昔みたいに
リストのカンパネラとかどう?」


俺の無茶ぶりにも思える誘いに、
「ミスタッチはしちゃうかも」っといいつつも、
手首や指先の運動をしながら
プレイエルの傍へと近づいてくる真人。


久しぶりに演奏できる真人との時間にワクワクする。


お互いにアイコンタクトをすると、
幼い時のように、
じゃれあう様にお互いの鍵盤を奏で始める。


練習不足もあって、
真人のミスタッチは目立つものの、
俺と檜野以外の、
穂乃香や飛鳥は驚いたような見せていた。

その後も、俺はあえて檜野の前で
穂乃香がピアノに戻れるようにと策略をめぐらす。

穂乃香がもう一度、ピアノに戻れるなら、
俺はなんだってする。


「ボクもピアノを諦めないよ。
 
ALSでも、
楽しめる間はボクは音楽を楽しみ続ける。
 
浩樹も穂乃香もせっかく手に入れた切符だよ。
 
ボクに遠慮しないで大会で輝いてよ。
ボクは真人と一緒に、全国大会に応援に行くから。

ボクの楽しみを奪わないで」


穂乃香や飛鳥たちに向かって、
そう言って笑った檜野。


そんな檜野を柔らかく見つめる真人。


真人が今もピアノに触れているのは嬉しい。

ミスタッチだって、
練習さえすれば取り戻せる。

だけど檜野の傍にいたら、
何時か、真人は真人の音色を忘れてしまいそうで
不安を感じた、ラ・カンパネラだった。


その日から、何度も檜野の家へと真人を訪ねるようになった。

穂乃香が居ても居なくても今は真人を訪ねていける。

そんな檜野がALSの治療の一環で、
点滴入院を余儀なくすることになった。

二週間の入院のタイミングで、
放課後、檜野のいる病院から帰宅している途中の真人を
電話で捕まえて伊集院邸へと招いた。



「咲夜、今日は有難う」

「真人、今日は都合つけてくれて有難う。
少し話がしたくてさ。
ほら、檜野の家だとやりづらい話もあるからさ」


そう言って、真人を自分の部屋の中に案内した。


「あぁ、スタインウェイ」


漆黒のピアノに向けた真人は、
懐かしそうに視線を向ける。


「今、伊集院邸で借りているピアノなんだけどな。
使っていいよ。

それより久しぶりに真人のピアノを聴きたいな」

「僕のピアノが聴きたいって言われても、
咲夜にはかなわないよ。

母さんがなくなってから、
暫くピアノに触れなかったから、
その間に指も思い通りに動かせないし。

久しぶりに瞳矢のプレイエルを触れた時は
嬉しかったけど指の動かなさに参っちゃったよ。

まぁ、感情のはけ口にピアノに触れてた部分もあるから」

そう言いながら真人はピアノの前に座って蓋を開く。
そして突然引き出したのは英雄ポロネーズ。

驚いて真人の方を見ると、あいつは昔見せたような表情で、
スタインウェイと戯れるように指を走らせ続けていた。

神楽おばさんのピアノの血を強く受け継ぐ真人は、
やっぱりピアノが好きでたまらないのだと
伝わってくるような音色。
 
真人は無意識に話したのかもしれないけど、
さっきも、咲夜にはかなわないって言った。


かなわないって言う言葉が出てくるってことは、
ピアニストとしての俺を少しは意識しているからこその
言葉だと思うから。


英雄ポロネーズを弾き終えた真人は、
よりにもよって、リストの超絶技巧のフレーズまで演奏を始める。

ミスタッチが続いて、
その曲は途中でやめてしまったけれど、
今も真人は間違えたところを無心になって繰り返し練習している感じだった。


「真人、もうすぐ九時になるから
ピアノ使わせてもらっていいかな」

楽しそうにしている真人に水をさすのは申し訳ないけど、
ウィーンとまた回線を繋いで、レッスンを受ける時間だった。

「あっ、咲夜。ごめん。
懐かしくてつい、触っちゃった。

もう九時なんだね」

真人が申し訳なさそうにピアノから離れる。

「あっ、真人もピアノの傍にいろよ。
今から俺のウィーンの先生と先輩たちを紹介するからさ
檜野の家には今日、俺の家に泊まるって連絡入れたらいいだろ」

そういうと電話を手にして真人へと手渡す。
暫くして、電話を終えた真人がピアノの傍へと戻ってきた。

「許可貰えたか?」
「うん。
久しぶりにいとこ同士の時間楽しんでおいでって。冬兄さんが」
「そっか。
なら、レッスン開始だ」 

そう言うと何時ものように、
回線を繋いでテレビ電話でレッスンを始めた。


途中、真人との連弾もしつつ、
時間だけがすぐに流れていった。

気が付くと日付が変わる頃。

久しぶりに真人と二人、
ピアノだらけの時間を過ごして
その余韻が残ったまま就寝した。

次の日も家政婦さんが来て作ってくれた
朝ご飯を食べた後は、
エチュードを何曲も交互に弾いているとあっという間に
時間が過ぎてしまった。



「あっ、咲夜。
そろそろ僕、お暇するよ。

楽しい時間を有難う。
瞳矢の病院の面会時間が近いからさ。

久しぶりのスタインウェイ楽しかった」


そう言うと真人は伊集院邸を出て行った。


真人を送り出して家の中に入ると、
自分の部屋から穂乃香が姿を見せていた。



「あの子、凄いのねー。
出会った頃は、そんなそぶりも何もなかったのに。

地区大会で、瞳矢が奏でる演奏に寄り添ってきたときは
びっくりしたけど……あの時もミスタッチは目立ってたから」

「あぁ、確かにミスタッチは目立ってたかもしれない。

だけど震災の時以来ほとんど触ってなかったから、
あれで数か月ぶりに触ったんだぜ。

俺がさ昔、ピアノがわからなくなって
迷走して自分の音を失った時に、
真人と神楽おばさんが、もう一度俺に、
ピアノを取り戻させてくれたんだよ。

小学校の時には英雄ポロネーズとか、
鬼火とか楽しそうに演奏してたよ。

十八番がリストの超絶技巧って言うんだから化け物だろ?」

そうやって語る俺の言葉に、
穂乃香は驚いたように立ち尽くした。


「アイツが本気でピアノを今も続けている現役だったら、
今頃、俺たちの傍にいる。

アイツはそんなやつなんだ」


だからこそ、真人にはまっすぐに
自分の音を育ててほしい。



だけど今のアイツは檜野の代わりに
ピアノを弾こうとしている。


そんな真人自身から、
俺の光になってた真人自身の音色を
呼び戻したくて。

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