優しい歌 ※.。第二楽章 不定期亀更新

「真人さん、西宮寺先生が見えましたよ。
 勉強ははかどってまして?

 今日もどうぞ宜しくお願いします」


気持ち悪いほどに優しい口調で、
話かけると、階下へと降りていく昭乃さん。

何とも言えない複雑な感情が僕の心に渦を作りだす。


「真人君、大丈夫?
 あぁ、先週の宿題だね。
 少し確認してもいいかな?」


言われるままに、僕はテキストを見せながら
ずっと言えないでいる想いを心に留める。


瞳矢のお兄さんとなった、西宮寺先生こと冬生さん。
この人のことを僕はまだ覚えてる。

だってこの目の前にいるその人は心臓の手術の為に入院したあの時、
あの人と一緒に優しくしてくれた、勇生先生と美雪先生のお子さんである
冬【ふゆ】お兄ちゃんだから。

時折、冬お兄ちゃんが見せる表情が勇生先生の笑い顔とリンクしていく。



「真人君?どうかした?」

「何でもないです。
 少し昔を思い出していただけ」


冬お兄ちゃんとの夏休みに過ごした時間。

そんな時間、もう覚えているのは僕だけかもしれなくて
怖くて話出せない。

それこそ、瞳矢以上に頼ってしまいそうで迷惑なだけだよ。


その後は、ただ勉強にだけ意識を傾けて
与えられる問題を全て解きおわると、冬お兄ちゃんはそれを確認して
あの頃と同じように笑いながら、僕を褒めてくれた。


「凄いね、真人君。
 この問題、よくこの場所を間違える人が多いんだよ。

 僕も学生時代よく失敗して、デューティーに注意されたことあってさ」
 

時折、冬お兄ちゃんの言葉から飛び出す、デューティーが何なのか
今の僕にはわからないけど、それでもこの暗闇の中で、唯一この時間だけが
僕が力を抜けるそんな、甘えられる空間になってることは間違いない。


「真人君、お疲れ様。
 今日は此処までにしようか」

「有難うございます」

「この間も良く出来ていたけど、今日も良く頑張ったね。
 真人君は飲み込みが早いよね」

「そんなことないです」


冬お兄ちゃんの教え方が、今も昔も変わらないから。
上手くて楽しいから、だから課題が進むだけなんだ。

 

冬お兄ちゃんが来て一時間半。


時間を見計らったように、部屋のドアがノックされて
昭乃さんの声が聞こえた。

「はい」

僕は明るくつとめて声をかける。

扉が開くと昭乃さんがお茶とお菓子を持って入ってくる。


「頑張ってるのね。真人さん。
 さっ、お勉強で疲れたでしょう。

 西宮寺先生も一息いれてくださいませ」


優しそうな母親を装って、
僕の世話を甲斐甲斐しくしていく。


「有難うございます」


昭乃さんがテーブルに支度してくれるティーセットに視線を向けて
丁寧にお礼を告げる冬お兄ちゃん。


「西宮寺先生、真人さんはどう?

 私も勝矢さんも、恭也さんに言われて、ずっと離れていた真人さんと
 一緒に生活するようになったでしょう。

 どうして接していけばわからなくて、戸惑ってますわ。
 西宮寺先生が我が家で生活していた時ともまた感覚が違ってるんですもの。

 困ってるんですの」



冬お兄ちゃんが、ここで暮らしていた?
昭乃さんの言葉が思いがけない過去を紡ぐ。

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