優しい歌 ※.。第二楽章 不定期亀更新
……瞳矢……。
僕は顔をあげてステージの方を見上げた。
確かにステージに立っているのは瞳矢。
タキシードを着て、演奏しているのは瞳矢。
だけどいつもの瞳矢じゃない。
どうしたの?
たどたどしい単発の音色で届けられる 。
ショパンの練習曲集Op.10「黒鍵」。
それはメロディーになっていない。
瞳矢が奏でるのは、幼い子供が音符を辿りながら一音一音
鍵盤を押すように奏でられる演奏。
ステージに出るのには力量が乏しすぎる
演奏をする瞳矢に観客たちからの野次とブーイングが集まる。
そんな声を聴いてしまったのか、
瞳矢は、黒鍵を弾く手をピタリと止めてしまった。
ピアノの音色が消えてしまった会場内。
ざわつき始める会場。
瞳矢は一度立ち上がり観客に深々とお辞儀をすると、
もう一度座りなおして次の曲を弾く。
それは昨日、瞳矢の家で奏でられていた
メロディー。
そしてそのメロディーのメインフレーズになっているのは、
遠い昔、僕が瞳矢と一緒に、母さんのグランドピアノで一緒に作曲していた
懐かしいメロディー。
そのメロディーをベースに、瞳矢はソナタ形式に
オリジナル曲を作り上げているみたいだった。
相変わらず、瞳矢が奏でるその音色は
たどたどしくて、メロディーと言えるものにはなっていなかった。
そんな寂しい単音が、
虚しく会場内に響き渡っていた。
そんな瞳矢を見ていると、
僕は溜まらなくなって、彼が一人で立っている
ステージへと駆け出した。
*
今日で最期だから。
最期にもう一度だけ、
瞳矢とピアノを奏でたい。
*
その一心でステージへと会場内の警備スタッフを押し切って……、
辿り着くと、瞳矢が腰掛けるピアノの椅子に、半分だけ腰掛けて
瞳矢の動きが悪い硬直した指先を両手で優しく包み込む。
瞳矢の顔が僕を見つめる。
僕はただアイコンタクトを交わして、
ゆっくりと瞳矢に笑いかけた。
僕の笑みを受けて、瞳矢はもう一度僕に微笑んで
たどたどしく、鍵盤を指先で追いかける。
そんな瞳矢の演奏をフォローするように、
僕は脳内に響き渡って行くメロディーを両手の指先で会場内に響き渡らせた。
部外者である僕が演奏していることに、
ざわつく観客たち。
戸惑いながらも演奏を中止させようと近づいてくる
運営サイドのスタッフ。
だけどそんな係りの人たちを
制する存在が微かに見えた。
次に瞳矢が紡ぎたい音色は僕の脳裏には広がっている。
瞳矢が奏で、僕が追いかけながら
一台のピアノで奏で続ける物語。