くれむつの恋
 調理場についたお時は、女将にどやされる前にお皿を洗ってしまおうと、
 手探りで行灯を探し始めた。

 普段ならばまだ薄暗い時に調理場へ入り、
 灯台に明かりを点けるため、手探りで探す必要はない。

 だが、今は調理場には明かりがない。
 カマドの木材が消えかかって、チラチラと赤い光をおびている程度だ。

 なのでお時は手探りで行灯を探すほかなかった。
 しかし幸いな事に、どこにあるかは承知の上だ。

 魚臭さが料理に移らないようにするために、
 調理場の行灯は魚油ではなく、帳場や客室と同じく菜種油だった。

 その行灯は、従業員用の魚油と同じ棚の中に入っていた。
 その棚は入り口の壁伝いに置いてある棚で、行灯の他にもまな板や鍋が納まっていた。

 お時は真っ暗な中、壁に手を当てて進み、その棚にたどり着いた。
 若干立て付けが悪い棚を、力任せに引いて開ける。

 歪な音を立てて開いた扉の中を、慎重にぽんぽんと指先で叩くようにして、
 行灯を探した。

 手の先に行灯を見つけ、お時はそれを取り出した。
 チラチラと赤く光るカマドに、そろそろと慎重に足を出しながら進み、
 カマドに残った残り火で行灯に明かりを灯した。

 火の光を見て、思わずほっと胸をなでおろす。
 やはり暗闇というのは不安や恐怖を掻き立てられるものだ。

 ほう――浮かび上がる丸く、暖かな光。
 そこに突然、人の顔が浮かび上がった。

「きゃあ!」

 お時は仰天して思わず行灯を落としかけた。
 小さく上げた悲鳴を聞いて、浮かび上がった顔はニイ、っと不気味に笑った。
 一抹の不安が過ぎったものの、見覚えのある顔に、
 お時の高鳴った心臓は落ち着きを取り戻す。

「女将さん……」

 その顔は、まぎれもなく女将だった。
 女将は機嫌が良さそうに行灯から離れる。

「お時、今日は遅かったんだね」
「あっ……す、すんません」

 お時は慌てて謝るが、女将は良いんだよと、手のひらを前に突き出して首を横にふった。
 その行動にお時は不審がって女将を見やる。

――何だいその顔は!
 いつもの女将ならばそう言ってお時を怒鳴りつけるはずだが、
 女将はまだ上機嫌だった。
 お時はますます不審がって女将をまじまじと見た。

「実はね、あんたの新しい奉公先が決まったんだよ」
「え?」

 女将はさも嬉しそうにニコリと笑って見せた。
 そんな女将に、お時は戸惑いを隠せなかった。

 ……

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