【短編】君ノ記憶
重い着物を着た自分をいとも簡単に抱え上げた男を見て、火影は目を丸くした。

しかしいくらそんな力の持ち主とて西国までの道程があるのだ、長時間持っていられるわけがない。

「秋篠様、着物を脱ぎますので少々お時間を頂けないでしょうか」

悠長なことである。

「…分かっているのか、貴様。拐いに来たのだと俺は言ったはずだが」

つまりは召し使いや城主に見つかっては面倒。
時間が無いのだ。

「存じておりますわ」

火影は柔らかく微笑んだ。
どこか寂しげにも見える笑みだった。

「しかしながらこの部屋は勿論のこと、近辺には人がおりませんの」

一層不思議な女だ、と思うが今はどうでも良い。

「着物を脱いでどうするつもりだ」

「貴方様にご迷惑をおかけするわけには参りませんから。ね、少し待っていてくださいな」

火影はまた美しく笑い、怪訝な顔をしている薄桜に背を向けた。

一番上に羽織っていた衣を脱ぎ、帯を解く。
薄手のものをまた身につけ、さっき解いたばかりの帯を手早く結んだ。

上質な衣がしゅるしゅると下に落ちていく様はまるで四季の花を次々に見ているようだった。

「はい、早かったでしょう?」

得意気な顔をする火影に笑みを溢しそうになった。

薄桜は仏頂面のまま頷き、今度こそ外に出た。

出た───というより、飛び出た。

どこからそのような力があるのかは知り得ないが、飛んでいた。

「わぁ、とても綺麗!」

腕の中で景色に感嘆の声をあげている火影。

薄桜は顔にこそ出さないが動揺していた。

「何なんだ、お前は」

「私ですか?」

見るからに異質な、薄桜の紅い瞳に見つめられてもものともしない。

「何故そんなに笑う。貴様はもうあそこに戻ることはないのだぞ」

「本望ですわ」

度肝を抜かれた。
裕福な暮らしをしてきた女が、本望だと?笑わせる。

思えばこの女の周りはおかしい。
人払いをしていたし、何より女の言葉。

初対面に見せるには無礼すぎる言葉だ。

「私は望まれ生まれたわけではありません。いえ、違いますか。望まれ生まれましたが、生きることを望まれなくなったものです。」 
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