【短編】君ノ記憶
驚いたことに、薄桜の反応は無に近い小ささだった。

「生きることを、か」

「…驚かれないのですね」

腕の中の火影の視線が痛い。
余計なことを言ってしまったかと舌打ちしたい気分だった。

しかし“余計”な言葉はするするとこぼれ出る。

「俺は逆だな」

「え?」

「俺は望まれて生まれた訳じゃない」

薄桜の母は、西国の頭領─つまり父親─の正妻だった。
愛のある結婚ではなく、血筋を守るための結婚だったようだ。

頭領は、妻に興味がなかった。
産まれた瞬間から幼馴染みと言っても良いほどの付き合い。
仲が良いことで、有名だった。
その二人が婚約するのも許嫁にされるのも決定事項。

婚約が決まり、驚かせるためと家臣は秘密にしていた。
さぞ驚かれ、喜ばれるでしょうと。

見知らぬ相手と家族になることを嫌がっていた二人だったからだ。

顔合わせの儀で──二人の顔が凍った。

若き頭領は幼き頃の思い出など忘れたかのように妻に他人行儀になり、“必要なとき以外”会うこともなかった。

妻は塞ぎこみ、病気がちになった。

そんな中でも生まれたのが薄桜だった。
“必要なとき”に会っていたのだからそうなるのは当然だ。

「秋篠様、秋篠様ーっ」

至近距離からの大声に薄桜は我に帰った。

「何だ?」

「何だではありません、ずっと虚ろな目をされていましたわよ」

火影の目が心配そうに揺れている。

拐った女に心配されるなんてな、と思うとますます不思議な状況だ。

「秋篠様…」

なおも呼び続ける火影の声を無視して薄桜は前を向いた。

「もうすぐ“出発点”に着く。身体の力を抜いて大きく息を吸え」

火影は顔色を悪くして頷いた。

恐らく怖いのだろう。

これから何が起こるか伝えていない。
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