【6】シンボルツリー
 自転車を置場所まで押していき、ほんの少しの隙間に自転車のハンドルを滑り込ませ、後部のスタンドを立てる。しっかりとロックを掛けると、前の網かごに入っている美月の荷物を、左足一本を軸に天秤のように体を伸ばして、引き揚げた。

「美月、おまたせ」

 私は美月の柔らかい手を握り、幼稚園の入り口へと近付いてゆく。

「おはようございます。美月ちゃん、おはよう」

 太った若い先生が、私に挨拶をした後、今度はしゃがんで美月に声を掛けた。

「しほせんせい、おはようございます」

 美月はにこやかに、そして丁寧にお辞儀をする。

 声を掛けてきたのは、美月のクラスの先生だった。いやしかし、それにしても、美月は幼稚園の年少組なのである。そんな小さな子供が、こんなにもしっかりと挨拶が出来るものなのかと、自分の娘と幼稚園の両方に、私は舌を巻いた。

「おはようございます」

 美月に遅れて、挨拶をした。

「美月ちゃん、今日はお父さんね。うれしいね、よかったね」

 杉山志帆先生。たしか妻からはそう聞いている。美月が家で話をする時に、しほせんせいがね、とよく出てくる名だ。

 若くて茶髪。ちょっぴりハスキーな声で、元気よく園児を迎える大きめの先生。

「今日はお休みなんですか?」

 志帆先生が立ち上がると、にこやかではあるが、上目遣いで、私に問い掛けた。

「ええ、そうなんです。有給休暇なんです」

「いいですね。羨ましいです。それに、きっと美月ちゃんも大喜びですよ」

「なら、よいのですが」

 どう答えて良いのか分らない私に、志帆先生はまた、美月の目線に合わせるように腰を曲げる。

「美月ちゃん、お父さんが大好きだもんね」

「うん」

 美月は元気よく返事をした。その一言で私も元気になったような気がした。

「それでは、宜しくお願いします」

「お預かりいたします」

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