【6】シンボルツリー
「実はもう三日も、飲み物ばかりで、殆んど何も食べていないんです。大好きなコロッケならばと思い、こうして食べてみたのですが」

「それ、幼稚園の近くのコロッケやろ? 美味しいなあ。それが飲み込めんのやから、野菜ジュースでも飲まんと無理ですやろ」

「そうですね……。野菜ジュースでも飲みますか」

 実際のところ、喉の痛みは息をするだけでヒリ付き、何かを食べると激痛に変わったのだが、今は処方された鎮痛剤で抑制され、寧ろ感覚が鈍くなったような、麻痺したような具合で、うまく飲み込めないのだ。

「ワタシらに比べたら、アンタはまだまだ若いし、これから大変やのに、体は大事にせなアカンでな」

 今日初めて出会った、見知らぬお婆さんに心配され、私は励ましの言葉を貰った。

 既に会社を休んで三日目だった。薬が効いているので、働けない訳ではない。しかし、何も食べられない状態で、働く気力が湧いて来ないのだ。
 もう、今週は出勤する気はなかった。私は、疲れた。何かに疲れてしまった。今は何に対してもどうでもいいような、無責任な衝動に駆られてしまう。だから、このままでは自分が駄目になっていくような気がして、丸々一週間、療養ということで有給休暇を取ることにした。


 お婆さんは立ち上がり、「ほな、帰ります。体を気い付けなはれや」と言い残し、帰って行った。

「どうも……」

 また、ぽつんと残されたような感覚に陥ったが、この休憩所には、まだまだ人がいて、それぞれの人生を歩んでいることに気付いた。

 ぼうっと、それらを眺めていたり、思い起こしたりして時間が過ぎた。

 目の前には、食べ掛けのコロッケが、此方を見ている。

 私は息を吸って、コロッケを口に押し込み、頬張った。そして、二つ目に手を伸ばす。

 元気にならねばならないのだ。娘や妻のために、長々と立ち止まっている場合ではないのだ。



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