恋人境界線
「だけどあたしよりも、あいつの方がよっぽど情けないよ」
あたしと距離を取りながら、薫が続けた。
「何回も頭下げんの。ごめんな、って」
「…っ」
「そんな春臣、あたしはもう見てられないから」
講義室から出て行く薫のとは、別の足音が聞こえる。
『もう、薫を泣かせねぇよ』
真島くんに言ったあの言葉が、きっぱりと薫と別れて今後一切の関係を断つ、という意味だったとしたら。
抱かれたこと、声、ぬくもり。眠り、嘘、すべてを。忘れなくても、いいのかな。
「…っ、」
近付いてきたのは、足音だけじゃない。
姿はまだ見えないけれど、甘く柔らかい香水の匂いが漂ってきて、あたしに泣けとけしかける。
「春臣――」
今までは、追い掛けても届かなかった人が、あたしの元にやって来る。
体の芯から震える。
香水の香りと愛しい人がまとう空気が、あたしの心を溶かしてゆく。
それは嵐が通り過ぎた後のような、清々しさだった。
END