夢一夜・・・十語り
夢一夜・・・墨色の羽に彼はほほえむ
夢を見た。
夢の中のわたしは、一羽のカラスだった。
墨色の羽に墨色のくちばし。
醜い声でガーガー鳴きながら、人の町の上を飛んでいた。
わたしは一人の人間に恋をした。
まだ幼いと言ってもいい、少年だった。
彼はいつも、家の中にいた。
窓際に座って、ぼんやり外を眺めていた。
年齢不相応に、憂いを帯びた面差し。
わたしはカラスだったけれど、カラスなりに彼を心配していた。
人間の子どもは学校へ行くもんだ、なぜ彼は外へ出ない。
日がな一日家の中とは、あの年頃の子どもにとっては苦痛以外のなにものでもなかろうと思うのだが。
心配と、好奇心がないまぜの心を抱えて、わたしは毎日彼の元へ行った。
そして、恋したのだ。
カラスカラス、わたしはカラス。
可愛い小鳥ならいざ知らず、この漆黒のわたしを、誰が愛でてくれようか。
あんまり近づいたら、彼が嫌な思いをするだろうことは分かっていたから、遠くもなく近くもない電線の上で、わたしは彼を見つめ続けた。
あなたのお名前はなんですか。
何をするのが好きですか。
なぜずっとそこにいるのですか。
なぜ外の世界に出ないのですか。
ああ、口惜しい。
わたしが人間であったなら。
幾度それを願おうとも、わたしはカラス。
カラスカラス、墨色の羽。
あなたは笑ってはくれないのですか。
人とは笑うものでしょう。
ああ、恋している。
あなたに焦がれている。
我慢できなくて、もう少しだけ、今日はもう少しだけ近くに行こうと羽を広げた。
そのとき、彼がふっとこちらを見た。
真っ直ぐに、わたしの方を見ている。
そのかたく閉じられていた唇がふんわりと綻ぶ。
あなたは、そんな風に笑うのか。
わたしはかつてない幸福感に満たされて、小さくガーと鳴いた。
そのとき、目が覚めた。
目が覚めると、わたしは人間だった。
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滅多に行かない屋根裏部屋に上がる。
あんまり掃除をしないものだから少し埃っぽい。
ガラクタまみれの部屋の中で、ひっそりと窓際に座る一人の少年。
彼は自分の意思で動くことはない。
学校には、行かない。
笑うこともできない。
わたしが生まれたときにはもうそこにいた。
彼は人形。
永遠に幼く、憂いを帯びた眼差しが誰かをとらえることはない。
彼が座っている場所の窓には、カーテンがひかれていた。
去年のいつ頃だったか、あんまり日が当たると色が褪せてしまうと思って、それまで開きっぱなしだったカーテンを、わたしが閉めたのだ。
そしてそのまま。
わたしは彼の隣にそっと立つと、カーテンを開いた。
朝の日差しが、やわらかく彼の頬を撫でる。
窓の外を見ると、家々の隙間には電線が張り巡らされている。
わたしはその黒い線の、遠くも近くもない一点をじっと見つめた。
墨色の羽のカラスは、そこにはいない。
彼を焦がれて、恋したカラスはどこに行ったのだろう。
ふいに、本気で探している自分が少しおかしくなる。
ふふ、ただの夢じゃない。
隣のお人形さんは、今日も曇りなく、どこかを見つめている。
カーテンを閉める気にはならなくて、そのままにしておいた。
「マナぁーっ、朝ごはん食べれるよー」
下でお母さんの呼んでる声がする。
「はぁい」
のんびり返事をして、彼の顔を今一度覗き込んだ。
あなたも、夢を見たりする?
階段の方へと身を翻した一瞬、漆黒の羽が、ふわりと宙を舞った気がした。