坂道では自転車を降りて
「何?」
「ほら、お化粧した大野さん。」
 さっきまでのお面のような舞台メイクを落としたついでに、皆で化粧をしたらしい。普段、彼女が化粧をしたところは見た事はなかった。
「ほんとだ。なんか雰囲気が違う。華やかで、、、すげー可愛い。うわ、俺が惚れそう。」
原が言う。おおげさなやつだな。

 彼女は恥ずかしいのか、俯いて横を向いてしまった。舞台の時のままポニーテールにした髪の先がうなじの横で揺れる。俺は心臓を掴まれたかのように言葉がでなかった。
「神井くん、言葉がでないみたいよ。」
美波がクスクスと笑う。

「大野さんも、普段から、リップくらいつけたらいいのに。」
「さあ、そろそろ行きましょう。」
女子が口々に言う。

「そのまま行くの?」
 俺は、視線を外せずにいた。このまま誰にも見せずに、彼女を持ち帰ってしまいたい衝動に駆られた。
 このまま彼女を小さな白い箱にしまって、大切に腕に抱えて持って帰るんだ。彼女はやがて小さな子ヒツジみたいに箱のなかで眠ってしまう。俺が穴から覗くと小さく丸まって眠る彼女が見える。ポニーテールの髪が箱の底に広がる。白くて細い首筋となだらかな肩が、規則正しく動いて、彼女が呼吸しているのが分かって、俺は安心する。

「なんで?せっかく可愛いんだから、このまま打ち上げ出たらいいじゃない。」
 美波の声で我に返る。妄想を繰り広げてる場合じゃなかった。打ち上げ、どうしよう。
「いや、その。首が寒そうで。それに、大野さん、打ち上げ出るの?」
「出るに決まってるでしょ。」
また美波が答える。
「君に聞いてないよ。」

「私、出るつもりなかったんだけど。」
彼女がこわごわ答える。
「帰るなら、送るよ。」
「ちょっと、何言ってんの!あなたも出ない気?昨日あれだけ皆に心配かけといて、何も説明なしで許されると思ってんの?」
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