坂道では自転車を降りて

彼女の家に彼女はいなかった。
「姉はまだ帰っていません。少し遅くなるってさっき電話がありました。」
インターフォン越しに弟が教えてくれた。電車に乗ったと言うのは嘘だったのだ。俺はまた騙された。彼女はすぐに嘘をつく。冗談ではすまされない嘘も時々つく。俺には、それが本当に腹立たしかった。

 どうしてくれよう。ここで待っていればじきに戻ってくるのだろうが、そういう訳にもいかない。バス停までの道を引き返しながら、メールをうつ。
『君に会いたい。バス停で待ってる。ずっと待ってる。』

 バスから降りる人の中に彼女を捜していると、携帯が鳴った。彼女からのメールだ。
『家に着きました。ウチに来たんだね。できれば、しばらく会いたくないです。用があったらメールください。今日は逃げちゃってごめんなさい。おやすみなさい。』
 家に着いたって、変だろ。居留守だったのか。それとも別のルートで、今帰ったのか。そうだな。ひと駅前で降りるくらいはやりそうだ。全部読まれてる。

 俺達は終わったんだろうか。いや、まだだ。もう一度電話をかける。彼女は出ない。想定内だ。メールをうつ。
『会いたい』
『今すぐ会いたい・会いたい・あいたい・あいたい』
『多恵にあいたい。今から君の家に行く。君が出て来るまで待ってる。』
『ずっと待ってる。』
鬼のようにメールを送った。完全にストーカーだ。でも、ひと目で良いから会いたい。10秒で良いから、君を抱き締めさせて。今日会わないといけない気がした。

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