坂道では自転車を降りて

 彼女は動かない。俺は待ちきれなくなって、自分で門を開けて入り、彼女を引き寄せて抱き締めた。しっとりと湯気をまとった身体は、柔らかくて、石けんの匂いがした。それに、、、ノーブラだ。頭に血が上ってクラクラする。大きく息を吐いた。
 抱き締めた彼女は抵抗もしないけど、反応もしない。柔らかくて温かいだけの人形のようだった。顎を持ち上げて顔を覗き込み、キスをしようと思ったけれど、彼女の顔を見たらどうしたらいいのか分からなくなった。濡れた髪。赤く腫れた目元、きっとさっきまで泣いてた。なのに今は、まったくの無表情だ。
「もうすぐ、お父さんが、帰って来るから。」
ただそう言って、言葉で俺を引き離した。
「多恵、逃げないで。頼むから、俺と話をしようよ。ね。」
「もう遅いから、帰りなよ。」
「明日。また会えるよね?会ってくれる?」
「。。。。」
「多恵。」
俺は、泣きそうな顔をしていたと思う。彼女は困った顔で笑った。
「わかった。明日ね。来てくれてありがとう。おやすみ。」
彼女はくるりと後ろを向いて、玄関へ向かって歩き出した。途中一度、振り返って、笑顔で手を振った。
「おやすみ。」
それしか言えなかった。

 ドアが閉まっている。何度ノックしてもドアは開かない。ドアの向こう側で彼女が泣いているのに、俺はドアを開けてもらえない。それでも、俺の声は聞こえている筈だ。呼びかけ続けるしかない。

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