坂道では自転車を降りて

「神井くん。。」
 ようやく彼女は顔を上げ腕を伸ばして来た。泣き笑いみたいな表情で、ハの字に寄せた眉が切ない。俺は手を取り握ってやった。
「多恵、もう終わりにするから、楽にして。」
「うん。」
「すごいな。そんなに感じるの?」
からかうと、彼女は悲しそうな顔をして、眼をそらしてしまった。失敗した。嬉しくて、つい下品なオヤジみたいな事を言ってしまった。

「ごめん。つい。嬉しくて。」
 素直に謝ると彼女は俺に抱きつこうと手を伸ばす。俺は彼女を優しく抱き締めた。彼女はほぉっと長く息を吐き、そのまま目を閉じて深呼吸を何度かした。
「多恵、大丈夫?」
「うん。もう大丈夫。」
「よかった。」
彼女をただそっと包み込み、髪をなでる。
「安心して。もう何もしないから。」
「うん。」

 多恵。俺の多恵。ずっとずっと、こうしていたい。ぎゅっと抱き締めて、柔らかい髪にそっと顔を埋めた。そうしている間に彼女がウトウトし始めた。
「多恵、大丈夫?寝る?ベッドに布団敷こうか?」
「ううん。勉強する。」

 そう言いながら、彼女は俺から離れようとしない。そのまま頭を俺にもたれて、またまどろみはじめた。可愛くて、このままいたいのは俺も同じだけど。そういう訳にも行かない。階下の様子が気になる。どうしたもんかな。悩んでいたら、ムクリと彼女が起き上がった。覚醒したらしい。

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