坂道では自転車を降りて

俺はもうどうあっても行く気になっていた。触れ合えなくても良い。窓辺に立つシルエットだけでも、部屋に灯ったあかりを見ながら話すだけでもいい。彼女を近くに感じたい。

「無理だよ。来ないで。」
「いいよ。行くよ。出られなくてもいいよ。着いたら電話するから、窓の外をみてみて。出られるようなら・・・」
「本当にダメなの。」

 その時、おかしな事が起こった。電話口から車の音がしたのだ。彼女はどこにいるんだ?自分の部屋にいるんじゃないのか?ベランダか?でも車の音近すぎないか。
「え、あれ? 多恵。君、今、何所にいるの?」
 ふと見ると、俺の家の前を通り過ぎたタクシーが遠ざかる。住宅街なのに深夜だからか結構なスピードだ。
 まさか、あの車の音なのか?

 網戸をあけて外を見回す。暗がりで何かが動いたような気がした。
「自分の部屋だよ。もう寝るね。」
嘘をつけ。そこにいるんだ。俺は急いで部屋を出た。階段を降りながら会話を続ける。
「本当に自分の部屋?」
「うん。」

本当に無茶ばかりするバカ娘だ。しかも嘘つきだ。俺は靴を履いて玄関を出た。
「そこにいて、今行くから。」
「来ないで。もう寝るから。」
「いいから。動くなよ。」

 隣の家の暗がりに、彼女をみつけた。シルエットだけでもわかるのは何故なんだろう。でも彼女だ。歩み寄りながら声をかける。
「多恵。そこにいるんだろ?」
彼女は動かない。俺がズカズカと歩いて近寄ると、彼女は怯えたように震えながら立っていた。

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