坂道では自転車を降りて
さて、次は多恵だ。3年生が自習している教室を覗くと、彼女は隅のほうの席で自習していた。俺に気付いた女子達がざわつき始める。突然現れた俺を見て、彼女は明らかに動揺していた。横まで行って小さな頭を見下ろすと、目のやり場に困って俯いた。顔を近づけ小声でささやく。
「少し、話があるんだけど。いいかな?」
「今、ここで?」
戸惑う視線。
「まさか。ここじゃあ、迷惑だし。部室の鍵を預かった。」
できるだけ優しく、言えたかな。彼女は視線を落としたまま頷いた。
「先、行ってるよ。」
彼女の周囲の生徒が俺を見ていて、かなり恥ずかしかったけど、仕方ない。無視を決め込み、ゆっくりと教室を出た。部室へ向かう。来るかな。彼女が来なかったらどうしよう。その時はその時でまた考えるしかないけど。
俺が部室に着くと、彼女はすぐに現れた。荷物を持っていないのは、すぐに教室へ戻るつもりだからかな。彼女はドアを開けておこうか閉めようか、少し悩んで結局閉めた。
「俺が怖い?」
後ろを向いてドアを閉めた彼女の背中に尋ねる。振り向いた彼女は、怒ってるみたいな顔をしていた。唇を噛んで床を睨んでいる。
「何か、怒ってる?」
尋ねると、ブンブンと首を横に振った。茶色くて柔らかい髪が揺れる。床に視線を落としたまま、何も言わない。あの日、この髪の間から落ちた涙の雫がフラッシュバックする。あれから何度、彼女を泣かせてしまったただろう。両手でも足りないかもしれない。俺の口からため息が漏れた。怒っているかと聞いたら首を振った。俺が怖いかと訊いたら、否定しなかった。そういうことなのか。