坂道では自転車を降りて
困ってるんだかニヤけてるんだか分からない顔の田崎を連れて、彼女はスタート台へ向かって歩き出した。俺はゴール付近に置き去りだ。田崎の前を歩きながら、彼女がおもむろに上着を脱いだ。田崎の口があんぐり空いた。目はしばらく彼女の尻を凝視していたが、ふと我に返って戸惑うように俺の方を見た。俺はその様子を馬鹿みたいにぼーっと眺めていた。
彼女は脱いだ上着を友達に投げて、そのまま歩き続ける。ぷりぷりと揺れる尻。すらりとスレンダーな身体にぴったりと沿う競泳用の水着。プールの端で彼女がこちらを向いて手を振った。多分、俺に。うっすらと見える腹筋に肋骨、腰骨。ヘソの位置まで分かってしまう。これはもう、裸と変わらないんじゃあ。
頼むからもう止めてくれ。声にならない悲鳴が俺の頭の中でぐるぐる回る。降ろしていた髪はいつ編んだのか編み込まれていた。プールサイドでスナックを食べていた秋川が慌てて眼鏡をかけている。田崎が俺に向かって親指を立てた。
スタート台に立った彼女は、もうなんというか、台の上に飾られた彫刻のようだった。田崎は顔がニヤけてしまって、あきらかに挙動不振になっている。用もないのにスタート台の周囲に男子が集まる。それ以上、誰も彼女に近づくな。
「ちゃんと真面目に泳いでよ。」
彼女は田崎に釘を刺す。宮本が合図する。
位置について、用意、ドン。
彼女は誰が見ても経験者だった。綺麗なフォームと競泳用の水着。結果は彼女の勝利。田崎がゴールするのを見届けると、振り返って俺に笑い、とぷんと水の中に消えた。と、水の中を黒いものが近づいて来て、俺の目の前で唐突に浮上した。人魚と言うよりは、なんかお化けみたいだった。