見知らぬ愛人
男と女
私は松岡景子。二十八歳。銀座の片隅でセレクトショップを経営している。
亡くなった祖母が始めたオーダーメイドの洋装店を母が既製服を売る洋品店として売り上げを伸ばして来た。その母が持病の心臓を悪くして働けなくなり、私が後を引き継いだ。
せっかくの銀座という地の利を生かして、もう少しお洒落な商品を扱うセレクトショップとして。それでも売り上げは思っていた程伸びていかず、どうすればいいのか悩んだ末に、有名なデザイナーの豊田順子の商品を置きたいと考えた。
昔、祖母が洋装店をしていた頃、当時は全くの無名のデザイナーだった豊田順子が店に来て
「私のデザインした洋服を店に置いてもらえないでしょうか」と。
祖母は彼女が持って来たスーツやワンピースが気に入って、売れたら、その代金の10%だけ受け取る条件で店に置いてあげたこと、彼女の作った服はとても人気があったこと。そしてその後、彼女は少しずつ有名になり、今や世界的なデザイナーになったことをよく私に話して聞かせてくれた。
その祖母のことを持ち出すつもりはなかったけれど、心の中で、もしかしたら覚えてくれているのではという儚い期待も正直少しはあった。
今や途方もなく大きな会社組織となっている豊田順子ブランド。小さなセレクトショップを相手にしてくれるのかどうか自信などない。でも動き出さないと何も生まれない。
私は思い切って営業部に電話を入れた。何度も掛けて、ようやく約束を取り付けた。専務が会ってくれるという。電話の向こうで秘書だと名乗る女性は専務は四十代半ばのやや小柄な色白で優しい雰囲気の方だと言った。
ホテルのロビーで午後五時から来てくださるまで待っておりますと、分かり易いように赤いスーツを着て。
四時間待った。でもそれらしき男性は結局現れなかった。その時の私の落胆は言葉では言い表せない程のものだった。
そのまま帰る気にもなれずホテルのバーに行き、カウンターで淡いブルーのカクテルを眺めながら一人で気持ちを落ち着けていた。
そこへ
「どなたかとお待ち合わせですか? おとなりの席、よろしいでしょうか?」
と声を掛けて来た男。場慣れしてそうな上品な雰囲気。背が高くて日焼けした端正な顔立ち。三十歳前後くらいだろうか。
話も面白くて途切れることなく話し続けて、そして何故か二人ホテルの部屋に居た。
その日の私は普通じゃなかったのも事実だった。もうどうにでもなれと思ったこともよく覚えている。
そのまま男と女の関係になっていた。自分でも信じられなかったけれど。もっと信じられなかったのは男からの提案。
「また会って欲しい。二週間後の土曜日この部屋で」
冗談だと思った。ただのピロートーク。そう思いながらも私は二週間後ホテルの部屋の前に居た。
それが二年前。
私生活の話は一切しない。お互い何者なのかも分からない。ただ私は男との情事に溺れていった。
私の初めての経験は高二の夏休み。三歳年上の当時憧れていた幼なじみの大学生。付き合っていた訳ではない。でも好きだったことは確かだった。宿題を教えてもらいに彼の部屋に行った時。
いつもは優しい兄のような存在だったのに……。行為の後、こんなものかと思った。その人とはその一度だけ。男に興味がなくなった。男なんてくだらないと思った。
私は一人で生きていくんだと決めていた。
その頃、父が愛人を作って家から出て行った。私の男嫌いにますます拍車が掛かった。
亡くなった祖母が始めたオーダーメイドの洋装店を母が既製服を売る洋品店として売り上げを伸ばして来た。その母が持病の心臓を悪くして働けなくなり、私が後を引き継いだ。
せっかくの銀座という地の利を生かして、もう少しお洒落な商品を扱うセレクトショップとして。それでも売り上げは思っていた程伸びていかず、どうすればいいのか悩んだ末に、有名なデザイナーの豊田順子の商品を置きたいと考えた。
昔、祖母が洋装店をしていた頃、当時は全くの無名のデザイナーだった豊田順子が店に来て
「私のデザインした洋服を店に置いてもらえないでしょうか」と。
祖母は彼女が持って来たスーツやワンピースが気に入って、売れたら、その代金の10%だけ受け取る条件で店に置いてあげたこと、彼女の作った服はとても人気があったこと。そしてその後、彼女は少しずつ有名になり、今や世界的なデザイナーになったことをよく私に話して聞かせてくれた。
その祖母のことを持ち出すつもりはなかったけれど、心の中で、もしかしたら覚えてくれているのではという儚い期待も正直少しはあった。
今や途方もなく大きな会社組織となっている豊田順子ブランド。小さなセレクトショップを相手にしてくれるのかどうか自信などない。でも動き出さないと何も生まれない。
私は思い切って営業部に電話を入れた。何度も掛けて、ようやく約束を取り付けた。専務が会ってくれるという。電話の向こうで秘書だと名乗る女性は専務は四十代半ばのやや小柄な色白で優しい雰囲気の方だと言った。
ホテルのロビーで午後五時から来てくださるまで待っておりますと、分かり易いように赤いスーツを着て。
四時間待った。でもそれらしき男性は結局現れなかった。その時の私の落胆は言葉では言い表せない程のものだった。
そのまま帰る気にもなれずホテルのバーに行き、カウンターで淡いブルーのカクテルを眺めながら一人で気持ちを落ち着けていた。
そこへ
「どなたかとお待ち合わせですか? おとなりの席、よろしいでしょうか?」
と声を掛けて来た男。場慣れしてそうな上品な雰囲気。背が高くて日焼けした端正な顔立ち。三十歳前後くらいだろうか。
話も面白くて途切れることなく話し続けて、そして何故か二人ホテルの部屋に居た。
その日の私は普通じゃなかったのも事実だった。もうどうにでもなれと思ったこともよく覚えている。
そのまま男と女の関係になっていた。自分でも信じられなかったけれど。もっと信じられなかったのは男からの提案。
「また会って欲しい。二週間後の土曜日この部屋で」
冗談だと思った。ただのピロートーク。そう思いながらも私は二週間後ホテルの部屋の前に居た。
それが二年前。
私生活の話は一切しない。お互い何者なのかも分からない。ただ私は男との情事に溺れていった。
私の初めての経験は高二の夏休み。三歳年上の当時憧れていた幼なじみの大学生。付き合っていた訳ではない。でも好きだったことは確かだった。宿題を教えてもらいに彼の部屋に行った時。
いつもは優しい兄のような存在だったのに……。行為の後、こんなものかと思った。その人とはその一度だけ。男に興味がなくなった。男なんてくだらないと思った。
私は一人で生きていくんだと決めていた。
その頃、父が愛人を作って家から出て行った。私の男嫌いにますます拍車が掛かった。