見知らぬ愛人
愛してる
 二週に一度の逢瀬……。正確には逢瀬とは言わないのだろう。愛し合う男女が人目を避けて密会を続けるのをそう呼ぶ。

 私たちの間には愛という感情は存在しない。お互い連絡先も携帯の番号もアドレスも教え合ってはいない。

 この部屋にさえ来なければ、それで終わる関係なのだから。

 私は、すべてを忘れたかった。店の経営も母の病気も母と私を捨てて愛人を選んだ父の事も。

 父が家を出る少し前に友人と遊びに行った新宿で偶然見かけた。綺麗な女性と一緒にいた父を。高校生の私にも夜の世界の人だと分かるほど華やかな人だった。長い黒髪と濃い目のメイク。妖しいほどに艶かしく美しい人。

 父は、あの女性のために家庭を長年連れ添った母を、そして溺愛してくれていた一人娘の私をも簡単に捨てた。捨てられた者の心の痛みなど考える余裕すらなかったのだろう。

 あの妖艶な微笑みに父は魅せられて、すべてを捨てた。その父への復讐の気持ちもあったのかもしれない。



 見ず知らずの男の愛人……。

 二人の間には愛情も金銭も介在しない。お互い、ただの男と女だという以外何もない。体の快楽を与え合い貪り合う、それだけの関係。

 一度の恋愛経験すらない。好きだとか愛しいとかいう感情など、きっと私の人生には、この先もずっとないのだろう。それで良かった。私には、お似合いだと思っていた。

 大好きだった父と憧れていた先輩に裏切られたという思い。私は男には愛されない女。私にとって男は憎み恨んでも愛する対象などではない。


 それでも二年も続いているのはなぜ? 自分でもよく分からない。この男の胸に抱かれている時間は何もかも忘れていられた。

 そこに愛という感情はなくても男の体の温もりと、どこまでも感じさせてくれる体の悦び……。思いのままに快楽を味わい喜悦する体……。それだけで良かった。私は、そういう女。


 今夜もホテルの部屋のベッドで快楽の限りを尽くしていた。男の優しい愛撫に思わず声が零れる……。何度も何度も喜悦の声をあげさせられ……。思わず仰け反った私の耳元で男は

「愛してる」と囁いた。

 えっ? 今、何て言ったの? 愛してる? そんな事ありえない。朦朧とする意識の中で、愛してる? 誰が? 誰を?

 目を閉じたまま自分の体すら動かせない私に男は

「目を開けて」

 そっと目を開けると照明を少し落とした部屋でも目の前の男の顔は、よく見えていた。

「君を愛してる」

 微笑む男に私は何を言えばいいのか、どう答えればいいのかさえ理解出来なくて……。男のこれ以上ないほどの優しいキスを唇で受け止めていた。
< 3 / 9 >

この作品をシェア

pagetop