トリック
トリック
微かに鼻をつく煙草の匂い。
シトラスの香水が混じったそれは、貴方が 最後 まで吸っていたもの。
ほんのすこしだけベッドのシーツに残る
温もり。
貴方の、ぬくもり。
白の枕に一本だけ抜け落ちた髪は、私の好きなダージリンティを思わせる薄茶色。
ヤンチャしてた頃は、金や銀に染めたり、メッシュを入れたりしたって貴方は言ってた。
そんな貴方も、見てみたかったわ 。
円形のガラステーブルには、灰皿と一枚のトランプ。
絵柄は、コンタクトを外した裸眼では見づらかったけど、ハートの2。
見ろとでも言うように、橙色の光がベランダの窓越しにそのトランプへ差し込んでいる。
貴方には、何かしら格好をつけて、回りくどい事をする癖があったわ。
きっと、このハートのトランプは、貴方が私を策略にかけるためのものなのね。
一体、何を意味しているのかしら。
貴方が吸い終えた煙草を灰皿から取り口に咥えて、小音で流れるテレビを意識する。
日食の話題で盛り上がりを見せているけれど、あいにく私は興味ないの。
貴方は、私と違って自然現象が好きだったわよね。
いつか、星のよく見えるところへ行こうなんて口癖のように言っていたわ。
行けるはずないのにね。
煙草を咥えたまま、ハートの2のトランプを手に取る。
私、貴方がいないと、貴方の策略を読めた事がないのよね。
悲しいけれど、きっとこれ、謎に包まれたままになるわ。
テレビは、相変わらず小音で。
貴方はみるのかしら、日食。
私は気付いたらベランダの窓を開けに歩いていた。
朝方なのに、陽の光が夕方みたいね。
洗濯物でも取り込んでおこうかしら。
別に貴方の好きかもしれない月食をみにきたわけじゃないわ。
この、ハートの2を握りっぱなしの手も、気まぐれなのよ。
ベランダに出ると、思ったよりも風が強くて、トランプが飛ばされてしまった。
それに慌てて、煙草も落としてしまう。
拾うと、地面にはどこかで見覚えのある二つ折りにされたオレンジ色のフィルムしかなくて。
ハートの2の裏に、少しの風で飛ばされるように貼り付けられていたのね、これ。
たぶん、貴方は煙草と一緒に飛ばされるなんて思ってもいなかったでしょうけど。
広げれば丁度、両目を覆えるサイズだわ。
そのフィルムは、きっと。
オレンジがかった視界に、白く眩しい光が飛び込む。
白の光は、リング状で黒の円を細く覆っている。
それは、今までみた、なによりも美しかった。
こんなにも綺麗で心を震わせるものが存在するなんて。
このまま、時が止まってしまえばいいのにね。
けれど、時は流れ、白の光と影は離れてゆく。
ああ、貴方を感じる。
今なら分かるわ、貴方が自然を好んだ理由が。
いつか、星のよく見えるところへ行こうと言った理由が。
まったく、いつも通り、最後まで貴方は格好つけたわね。
私、貴方の策略 読めたわ。始めてよ。
でも、この策略を解けたのは、貴方が私の事をよく分かってくれたからなんだわ。
もう。タイミングが少しでもずれたら台無しだったんだから。
今度、会ったら教えてあげなきゃ……
その瞬間、まるで感情を吐露するかのように、生暖かい感触が頬を伝ったの。
とめどなく溢れ出すそれらは、離れてゆく光と影をぼやかせる。
オレンジ色のフィルムは、つい離してしまい、風に飛ばされる。
貴方のいない部屋が、とても虚しくてけどどこか期待して、振り向くと。
See you…。
なんて、聴こえた気がしたわ。
(END)