風変わりなシュガー


 市川さんはいつも穏やかで笑っているけれど、明るいタイプの人ではない。ニコニコしているけれど、あまりお喋りではないし、ふとした表情が厳しいときだってある。彼をとりまく謎が余計そんな印象を抱かせるのかもしれないけれど、とにかく底抜けに明るいってことはないのだ。

 だけど、ガンガンお酒を飲んでいる今夜の市川さんは明るかった。

 普段の穏やかで安定した態度はどこかへ消してしまって、ちょっとした冗談にも大口をあけて爆笑している。鼻に皺を寄せて、目尻を下げまくって。京都のうちのおばあちゃんが経営する下宿の歴史とか面白い住民達のこと。大学を留年しまくって親御さんから勘当を言い渡されたことや、日本を旅して回っていた頃の話。

 ニコニコと大きな口で笑いながら、市川さんは話す。

「就職もさ、俺はしたことがないんだよ。そういう意味ではね」

「へっ?ど、どういう意味ですか?」

「つまり、大学の就職課へ行って相談したり、エントリーシートを書いたり、説明会に参加したりしたことはないってこと。会社で働いたことはあるけれど、就職活動をしたわけじゃないんだ。しんどいらしいね、あれって?」

 就活のことなら何でも聞いてくれ。私はぐいっと身を乗り出して、あの灰色の日々の話をする。その流れで別れた彼氏の話や、その後の泣き暮れた話、泣くことすら出来なくなった話までしてしまった。

 家族や友達ではない、不思議な関係である市川さんにこれだけ深く話したことなどない。ここへ来た当初、彼には勿論状況を説明していたけれど、彼氏にも振られて云々など関係のない話だったから、割愛していたのだ。


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