王女・ヴェロニカ


:3:

 マイクたちがエンリケ邸を囲む少し前。
 クリーム色のドレスに黒い外套を羽織ったビアンカは、こっそり本営を抜け出していた。
(ええっと……こっちがメインストリートだから……)
 だが、本営を出てすぐのところで、小太りの男の人とやけに背の高い男の人が声を掛けてきた。
 兵が追いかけてきたのかと思ったのだが、聞けばマイクの部下だという。
「わたくし、ビアンカと言います。これを、マイクに渡してください。お願いします」
 握っていた羊皮紙を取り出せば、痩せた方が
「これ……あんたが直に、うちのお頭に渡した方が良いんじゃないか? 案内しようか?」
 と提案してくれた。だが、マイクに逢うわけにはいかなかった。逢えばこの先自分がやろうとしている事への決心が鈍る。
「いいえ、わたくしは他にやることがあるのです。マイクによろしくお伝えください」
 引き止める二人の手を振り払って、ビアンカは駆けだした。
 幼いころから屋敷の奥で、王の妃になるために育てられてきた。
 ある程度の年齢に達すると、王の目に留まりやすいようにと、後宮へ侍女として送り込まれた。
 だから、土砂降りの町——それも、石畳ではなく、茶色い土が剥き出しの道——を走るなど、生まれて初めての体験だ。
 道の窪みや小石に足をとられて転びそうになる。きっとヴェロニカだったら難なく走ってしまうのだろう。
(ヴェロニカさま、勝手なことをしてごめんなさい!)
 
 「おや、王の寵愛を一身に集めるご側室が、こんなところでどうしたのかな?」
 エンリケは、大袈裟なほどに娘を持て成した。
 町のドレス屋から最も上等なドレスを何着も持ってこさせ、あれこれ悩んで、オレンジ色のドレスを選んだ。
「お父様、お話が」
「いや、お前の言いたいことはわかっている。何も言わなくていい」
 髪も綺麗に結い直し、豪華なディナーの席へ娘を導いた。
 次々と出てくる御馳走は、どれも食べ慣れた美味しいはずのものだ。だが、今は全く味がしない。
 ヴェロニカの本営で食べていた野菜のスープや、チーズとハムを挟んだ雑穀パンが懐かしい。
「ビアンカ、次期正妃となるお前がこの『ジャジータ宮殿』を尋ねてくれてうれしいぞ。これで兵たちの士気もぐっと上がるだろう。このところ兵の動きが鈍くてね、どうしたものかと思案していたのだよ」
「……わたくしは、正妃になど……!」
< 144 / 159 >

この作品をシェア

pagetop