王女・ヴェロニカ
 それで舫い綱を切って、川へ浮かべる。あとは濁流が川下へ運んでくれる。ビアンカの細腕では、一艘押し出すだけで重労働だ。
「何者だ、そこで何をしている?」
 振り向くと、松明を掲げて武装した兵士が二人いる。
(巡回の兵! うっかりしていたわ……)
「ビアンカさま……? そこで何をしていらっしゃるのですか?」
「あっ、隊長! 船が流されています!」
「この女、本当にビアンカさまか? ビアンカさまを騙る、偽物かもしれん。ちょっと上に来い!」
 いやです、と、隊長の腕を振り払った。ちょうどその時、「賊の襲撃だ! 海賊だぁ!」という声がした。
「やはりお前は偽物のビアンカさまだな! ピッカ一団の女盗賊か、それとも海賊の一味か?」
 ここで牢に放り込まれてはたまらない。ヴェロニカの足を引っ張ってしまう。
 ビアンカは、右手で隊長の手首を握り、左手で部下の手首を握った。
「あん?」
「なんでしょう?」
「わたくしと一緒に、地獄へ来ていただきます」
 二人の兵士の手首を掴んだまま、オレンジのドレスが川へ踊りこんだ。
  
 川べりにオレンジ色の物体が浮いているのを見つけたのは、マイクの指示で小舟で逃げ出したマイク船団の男たちだった。
「兄貴、あれ、女じゃないっすか?」
「あん? 増水した川に落っこちたか……可哀想にな、引き揚げてやろうぜ」
 彼らは、てっきり女は死んでいるものだと思った。だが、引き揚げた体は微かに息をしている。
「あっ、生きてるぞっ! 医者、医者……ああっ、でも、ティーラカの町に医者はいねぇぞ! ジャジータへ戻れっ!」
「とにかく、陸に上げるぞ。手近なところで船を寄せろ。それからこのお嬢さんはそこらの貴族の娘じゃねぇ。もっと高貴なお方だ。誰か、急いで泳いで戻って、お頭に伝えろ!」
 合点でぇ、と猛者が一人、濁流に飛び込んだ。流れてきた板切れに捕まって器用に岸に近づき、あっという間に川から上がって行った。
「お嬢さん、すぐに助けるからな!」
 ビアンカを助けた男は、ビアンカが太ももに巻きつけている短剣に注目していた。
 鞘に刻まれた紋章は、王家のものではなかったか。
(ヴェロニカさま……なら、武器は棍だ。この方は——)
 海賊の目線は、エンリケ邸の方へ向けられた。
(実の娘をここまで苦しめてまで、あんた、何がやりてぇんだ……?)
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