王女・ヴェロニカ
 一振りすれば、棍はたちまち二メートルを超す長さになる。ヴェロニカ愛用の武器だ。
 武器が取り出されたことを察した弟が、顔を上げる。
「……いい? 目を閉じて耳を塞いで」
 従順な弟が目を閉じて耳を塞いだと同時に、背後のドアが乱暴に開けられた。
(また、濃紺の制服にピエロのマスク……フィオは殺させないわよ)
 無言のまま突きだされる槍を棍の先端で弾く。鈍い音がしてフィオがびくっと体を震わせる。
 さらに別の方向から伸びる穂先は、素早くすくいあげるようにして押し返す。
「弟には傷一つつけさせない。朝から何度言ったらわかるのかしら? これ以上怪我人が出ないうちに、引っ込みなさい!」
 ヴェロニカに向かって伸ばされた槍の柄を、無造作に左手で握って強く引く。
「わっ!」
 前にのめった襲撃者の手から槍を奪い、その隙に、少し縮めた棍をフィオに渡す。
「ねえさま……これは……?」
「槍があなたを狙ってきたら、それで叩くの。出来る?」
「はい。僕も武術を習い始めたもの!」
 フィオが、ドレスの陰から出てきて棍を構えた。
 その姿勢の美しさと覇気に、襲撃者が少し後ずさった。
(そう、フィオ。それでいいのよ)
 主家の幼い子息に応戦されて尚、勇猛果敢に攻め込める家臣など、そう滅多にいるものではない。
 ことに今回のように、一人の家臣の私情で動いている時など、尚更だ。
 襲撃者の殺気が萎《しぼ》んだのを察知したヴェロニカは弟の小さな体を抱きしめ、窓枠に飛び乗った。
 乾いた風に、ピンクのドレスとカーテン、そして艶やかな髪がなびく。
「飛び降りるつもりだぞ!」
「引き止めろ!」
「いや、二人そろって死んでくれたら好都合だぞ」
 殺到する襲撃者たちの足元を、高速で、なおかつ正確に槍で突いて足止めし、ヴェロニカは窓枠を蹴った。
 下の階のバルコニーに一度着地し、再びそこから地面に飛び降りる。槍を杖代わりにして跳ね起きて、追撃にそなえたが、濃紺の制服たちはそこまで追いかける気はないらしい。
 窓から身を乗り出して、何事かを喚いている。
(ジャック、ここに花壇を作ってくれたこと、感謝するわ)
 職人気質の老練な庭師・ジャックが「万が一」に備えて作ってくれた、極上の花壇。
 そのおかげで、ヴェロニカも腕の中の弟も、無傷だ。
 だが、弟はショックのあまり、大きく目を見開いて硬直している。
< 2 / 159 >

この作品をシェア

pagetop