王女・ヴェロニカ

:2:

 「長官。ちょっと疲れたの。手合せ、付き合ってくれる?」
 幼い弟妹と一緒に遊んだヴェロニカの帰還を待っていたのは、机に向かっての仕事だった。
 ヴェロニカがもっとも苦手とする仕事だ。
 羽ペンを置くと、ぐるぐる腕を回しながら王の傍に控えている近衛長官のグーレースに声をかけた。
「おお、王女からお誘いがあるとは、久しぶりですな」
「ここだと狭いから庭か……せめてバルコニーに出る? でもそんな時間もないか……」
 机の隅に置かれた書類の山は二つ、それを見て嘆くヴェロニカに、グーレースが短剣を投げてよこした。
「ヴェロニカさま、いっそ室内戦を想定した手合せはどうでしょう?」
「面白そう! でも父様のお邪魔になるかしら?」
 王は書類から目を離さずに片手をあげてひらひらと振った。好きにせよ、ということらしい。
「ありがとう、父様!」
 刺客が襲ってくるのは外にいるときや大広間にいるときばかりとは限らない。
 執務室や廊下にいるところを襲われることも十分警戒しなくてはならない。だが、ヴェロニカは狭い室内戦、しかも、ドレスを着た状態での接近戦の経験に乏しい。
 グーレースは常々、そのことが気にかかっていた。
(これは千載一遇のチャンスであるな……)
「いくわよ、グーレース!」
 たっ、と走り出したヴェロニカだが、すぐにバランスを崩してしまった。
 大きく膨らんだスカートの裾が、椅子の装飾を施した肘掛の部分に引っかかってしまったのだ。
「あ、あら!?」
「いかがなさいましたかな」
「ちょ、ちょっと、待って! ドレスが……」
「ほほう、戦闘中に待ったと申されますか」
 悠々と近づいたグーレースは、鞘に納めたままの剣をヴェロニカの鼻先に突き付けた。
「さぁ、このグーレースの勝ちですな」
 ぴくっ、とヴェロニカが反応した。
「……そうはいかないわよ!」
 鼻先で揺れる剣を、与えられた短剣で弾きながら、ヴェロニカはスカートの中から愛用の武器を取り出そうとした。
 だが、スカートと、レースのたっぷりついた袖が肘掛に引っかかり、うまくとり出せない。
「どうなさいましたかな、王女?」
 必死で袖を捲り上げ、スカートの中でブーツを脱いで足場を整える。
 そして短剣を構えた。短剣での戦い方など、知らない。だがヴェロニカは楽しそうな笑みを口元に浮かべた。
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