王女・ヴェロニカ
 やっと手を止めたヴェロニカは、まっすぐに父を見た。父親のスカイブルーと娘のエメラルドグリーンが交わる。
 両者ともに、その瞳には同じ種類の強い光が宿っている。
「やるわ」
 二人はすぐに視線を手元の書類に戻し、何事もなかったかのように仕事を再開させた。
 傍で会話を全て聞いていたはずのグーレースは、何も言わず、何も尋ねないまま、窓を開けた。
 乾いた風が室内に吹き込み、ヴェロニカの栗色の髪を揺らした。
(次期女王陛下……命に代えてもお守りいたしますぞ……)
 ヴェロニカを次期国王に指名するためには、細々とした法律を変えなければならない。
「あの男に気付かれる前に、出来る限りの改正を推し進めてしまいたいな……」
「父様、あの男は武官でしょう? 法改正に口出しできる立場ではありません」 
「ヴェロニカさま、直接口は出さなくとも、手は出せます。平たく申せば……犠牲者が増えるかもしれません。最も、マスクの軍団があの男の指示で動いているという確たる証はひとつもないのですがな……」
 ヴェロニカがぐっと唇を噛んだ。
 確かに、誰もが——実の娘・ビアンカまでもが——ビアンカの父が王子やセレスティナ妃を襲ったと思っている。
 だが、その証拠が何一つあがってはいない。だからエンリケは毎日元気に出仕しているし、誰も名指しで糾弾しようとしない。
「グーレース、捕えた刺客は正気を取り戻した?」
「いえ、まだです。薬物を体から抜くには、もうしばらく時間がかかるとか……」
「……あいつが何か少しでも喋ってくれれば……。ああでも、薬物中毒の男が言うことに、どれだけの力があるだろう……誰が信じるだろう……」
 ヴェロニカの手の中で、羽ペンが微かな音を立てて折れた。
「ヴェロニカさま……あの男は特殊独牢へ捕えてあります」
「グーレース、ありがとう」
 椅子を引いて滑らかに立ち上がったヴェロニカは、逸る気持ちをおさえて、静かに執務室を後にした。
「……グーレース」
「はい」
「ヴェロニカはいつの間に、あのような術を身につけたのか」
「少しばかり、成長なされましたな」
「ちと、寂しい気もするがな……」
 しかし己の感情を抑制することに気をとられて、ヴェロニカは隙だらけだ。今襲撃があったなら、棍を抜くのが一瞬送れるだろう。
「陛下、しばしお傍を離れることをお許しください」
「うむ」
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