王女・ヴェロニカ
 そんな時でもグーレースによる「淑女教育」は継続されている。ただし近頃は、グーレースが始終張り付いているわけではない。
 誰が密告したものか、グーレースが見ていないところではいい加減なことをしているということが、バレてしまったのだ。
 たとえば、回廊をぐるっと回るのが面倒だと感じたヴェロニカは、中庭を突っ切ることにした。
 ショートカットすること自体は、構わない。だが、グーレースが見ていないと、回廊の窓を乗り越えて行く。
 今日もヴェロニカは、あたりに人がいないのを確認してドレスを捲り上げて窓枠に右足をかけた。
 その瞬間、短剣が窓枠に突き刺さった。
「えっ!?」
「ヴェロニカさま、見ておりますぞ……」
 いつのまに現れたものか、グーレースが背後で片膝をついている。
「おほ、おほほほ……」
「……窓枠に乗せた右足をどうなさるおつもりで?」
 スタタターッと小走りに回廊を駆け抜けるヴェロニカに、グーレースが並走する。
「そうそう、ヴェロニカさま専用の扇子を作らせました。どうぞお持ちになってお歩きください」
「ええーっ? 邪魔……」
 思わず足を止めたヴェロニカの手に、豪華な扇子が押し付けられた。
「これをお持ちいただけますな?」
 しぶしぶ受け取ったヴェロニカだが、思わずそれで手のひらを打ってしまう。
「ヴェロニカさま、扇子は手や人を打つためのものではございませんぞ」
「う、わ、わかってるわよ!」
「では、失礼」
 グーレースが立ち去ったあとも、ヴェロニカは大人しく歩いている。ヴェロニカにはグーレースが自分を監視しているのがわかっているのだ。
(……わたしを見張っている間に、どこかで敵襲があったらどうするのかしら!)
 通りすがりの侍女が、膝を折って挨拶をした。それに嫣然と微笑み返して、王女として威厳のある挨拶を返す。
 珍しく王女らしい立居振舞のヴェロニカをみた兵士や侍女たちは、一斉に空を見上げた。
「雨……いや、槍でもふるのかな……」
「傘じゃなくて盾が必要だな……」
 スカートの中の棍を引き抜いて、無礼な兵の側頭部をついてやろうとしたヴェロニカの動きが、突然止まった。
「……ヴェロニカさま、時には聞き流すことも必要ですぞ」
 音もなく天井から降ってきたグーレースが、ヴェロニカのスカートの裾をしっかりと掴んでいた。
< 36 / 159 >

この作品をシェア

pagetop