王女・ヴェロニカ
 顔を歪めた刺客が舌を噛もうとした瞬間、素早くヴェロニカのブーツの先が差しこまれた。
「あがっ……かはっ……」
「勝手に死ぬことは許さない。あなたは近衛隊にいたくらいだから、優秀な兵だろう。有能な人をこれ以上死なせるわけにはいかない。……ジュリアンはまだ?」
「ヴェロニカさま! ジュリアン医師、到着いたしましたよ」
 汗まみれになったジュリアンが、薬や医療器具の入ったカバンを抱えて駆けつけてきた。
「患者はこの人ですね、どれどれ……」
 刺客の口の中を覗きこんで、舌が噛めないように戒める。そうしておいてから全身をざっと診察したジュリアンは、思わずため息をついた。
「全身あちこち骨折。いずれも綺麗に折られていますね。歯は既に何本も抜けて……ん、奥歯に詰め物が二つ……失礼。これはなんだ?」
 見せられた刺客が、驚いたような顔になった。
「……ジュリアン、それは?」
「こちらは毒物。こっちは火薬かな……?」
 刺客の血相が変わって、唸り声を発した。こめかみに血管が浮いて、わなわなとふるえている。
「どうしました?」
 ジュリアンがそっと、口の戒めを解いた。
「おれは、歯にそんなものを仕込んだ覚えはない……」
「え?」
「血塗れ将軍、おれはあんたが嫌いじゃない」
「え、あ、ありがとう」
「あんたはいつも、おれたち名もなき兵士も人間として扱ってくれた。生きろと言ってくれた。だから……教えてやる」
「なに?」
「おれたちはあのお方に誘われて『白い亡霊』になった。新しい国で良い暮らしを保証してやるって言われた。だけど……あの男に従ったことが間違いだった。いや、間違いだと薄々気づいていたけど、
気付かないふりをしていたんだ。自分たちが正しいと思っていた」
 ジュリアンとヴェロニカは、思わず顔を見合わせた。
「おれたちは、自分で責任をとればいい。でも本人たちが知らないうちに『白い亡霊』になっちまった兵がたくさんいる。あいつらは、自分が何をしているか、何をさせられているか、解ってないんだ。
おれは……やっぱりそれが一番許せない。おれはスラム育ちだから、薬物の怖さも良く知っている。だから……頭領にそれだけはやめてくれ、って進言したんだ……」
「白い亡霊って何のこと? 説明して」
 だが男はヴェロニカの言葉は聞こえていないらしい。うつろな眼差しでブツブツと喋りつづける。
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