王女・ヴェロニカ
 走り出そうとするビアンカの腕を、ヴェロニカはとっさに掴んだ。その拍子に、ビアンカの腕についている細い金の腕輪が、シャラシ
ャラと鳴った。
 その音で、ラロとヴェールがこちらに気付いた。
「ビアンカ、何をするつもり?」
「……あの人が! あの人が後宮を血染めにしているの! あんな人と親子だなんて思いたくない! 人殺し!」
「ビアンカ、落ち着いて。軍事大臣が人殺しをしている場面を見たの? たしかな証拠があるの?」
「……ありません。でも……状況がそう言っているでしょう? 許せないんです」
「ダメよ、疑わしいという状況だけでは人を裁けないの」
 ヴェロニカは、ビアンカの腕を更に持ち上げると、痛い、と呟いたビアンカの手から、小さな剣が滑り落ちた。
「王の側室が、軍事大臣を殺傷するのを黙って見過ごすわけにはいかない。ごめんね、ビアンカ……」
 尚も剣をとろうとするビアンカより早く、ヴェロニカが剣を蹴り飛ばした。
 それは廊下を滑り、ラロの足元まで届いた。それを無表情で拾い上げたラロは、静かにヴェロニカの手に渡した。
「軍事大臣……」
「娘は精神が少しばかり不安定なようだ。無理もないが……。王女、できれば娘から刃物を残らず取り上げて欲しい。この子は、ベッドの下に隠す癖がある」
「わかりました」
「ときに、王女」
「はい」
「我が弟の嫁となる気はないかな?」
「は?」
「王女や将軍の地位などすてて、我がエンリケ家の一員となり、豪邸の奥で贅沢な暮らしをするのも悪くないと思うがいかがか?」
 ヴェロニカが何か言う前に、ビアンカの手が素早く動いて、父親の頬を張り飛ばしていた。
「ビアンカ、親に手をあげるとはどういう了見だ」
「……わたくしは……今日ほどエンリケ家の人間であることを恥じたことはありません」
 冷たい眼差しでヴェロニカとビアンカを眺めた軍事大臣は、ヴェールを引き連れてさっさと立ち去ってしまった。
 ぺたんと廊下に座り込んだビアンカの横に、いつの間にかグーレースが姿を現していた。
「グーレース、ビアンカをお部屋まで……」
「かしこまりました。さあ、ビアンカさま、参りましょう。王が、ビアンカさまをお探しです」
「え、陛下がわたくしを?」
「はい。なんでも、ヴェロニカさまの……を画策するのだとかで……」
「まぁ! それはすてきだわ!」
「え、ちょっと、何を画策するの?」
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