王女・ヴェロニカ
「ヴェロニカさま! 悪いようにはいたしませんわ。さあ長官! 陛下のもとへ参りましょう」
「ヴェロニカさまは、お召し替えの後、執務にお戻りください。机の上に巻物が山になっておりますぞ」
 二人の背中を見送って、ヴェロニカは大きなため息をついた。
 ドレスを着替えるのは、構わない。だが、とても執務室に戻る気分ではない。
 たとえ戻ったとしても、羽ペン1ダースをごみにしてしまうだろう。
(……ごめんね、グーレース!)

 「あーもう! すっごいストレスたまるのよ!」
 自分の部屋に帰って、ドレスをポイポイと脱ぎ捨てる。胸を締め付けているコルセットを外して、スカートを広げるクリノリンも取り去る。
 腕をまわし、体を捻り、足を振り上げて血行を促し、ついでに体術の型をいくつかなぞる。
「すっきりした! やっぱり、あれを着るに限るわ」
 汗を拭って、ベッドの下に頭を突っ込む。
 そこにこっそり作った物入れから引っ張り出したのは、無駄な装飾を一切取り去った、黒いワンピース。
 侍女たちが着ているメイド服をこっそり拝借し、ビアンカの手をかりて改造したものだ。
 それを着て、棍を太ももに巻きつけ、あとは薄いヴェールで顔や髪を隠す。こうしておけば、王女だとはすぐにばれない。実証済みだ。
「よしっ!」
 自室のテラスに出て下を見れば、ちょうど衛兵が立ち去るところだった。
(今が脱出の、絶好のチャンスよ!)
 先日、大縄跳びをしたときにこっそり手に入れておいた「縄」を、棚の奥から引っ張り出して担ぐ。
 窓からはシーツとカーテンを繋いだものを垂らしておく。これで兵たちは、先に窓の下の通路を探すだろう。
 ヴェロニカ本人は縄もシーツも窓も使わず、細工してあるシャンデリアを動かして天井裏を通り、屋根へ出た。
(太い縄って便利よね。これで下へ降りてみよう……)
 ヴェロニカたちが暮らしている建物のすぐそばには、巨大な楡の木がいくつもあり、ヴェロニカはその樹を利用する。
 だが、その樹を使っていることはグーレースにばれている可能性が高い。
(縄があれば、壁を伝ってどこからでも降りられる……)
 あっという間に地面に降り立ったヴェロニカは、ロープをバラの生垣の中に隠して、ベールをとった。
「よし! 脱出成功!」
 衛兵に見つからないよう物陰に隠れながら、後宮を巡回する。
 目的は三つ。
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