王女・ヴェロニカ
わたしを、出陣させなさい!
:1:

 フィオの手を引いて王やグーレースのいる執務室へ向かったマイクは、執務室へ踏み込んだところで困惑して立ち尽くしていた。
 ガッシャーン、と窓ガラスが割れる音がしたので急いだのだが、殺害事件の事後処理をしているはずのヴェロニカがその場にいて、なぜか手に黒塗りの椅子を持っている。
 窓ガラスはといえば、窓の外へ飛び散っている。
「あー……もしかして、ヴェロニカが窓を割ったのか? その椅子で……」
 執務室の扉近くで目を見開いていた女性——ジャスミンが真っ先に動き、ヴェロニカの手に自分の手を添えた。
「あの……ヴェロニカさま? どうなさったのですか?」
 はっとしたようにヴェロニカが椅子を下ろした。
「ジャスミン、大変なのよ!」
「はい」
「……後宮に痴漢が出た」
 一同の眼が点になった。後宮に幽霊、後宮で殺人事件、これら以上に聞いたことがない話だ。
 一瞬、ヴェロニカが冗談を言っているのかと思った。だが、彼女は至って真剣だ。
「え、痴漢? ヴェロニカさま、どこか触られたのですか?」
 それはないだろう、とその場にいる誰もが思った。
 ヴェロニカに痴漢行為を働こうものなら、地の果てまで追いかけられてとっ捕まり、血祭りに上げられて城前広場で晒し者にされているはずだ。
「いや、わたしじゃない。側室や妹たちの浴室を順番に覗いて、逃げた男がいる」
「まあ……皆様のケアと警備を強化しなくてはいけませんわ!」
「ったく……許しがたい。捕えたら監獄へ放り込んで一生そこへ閉じ込めておくのに……」
 忌々しげに地団太を踏むヴェロニカだが、どうしてそれで執務室の窓が割られるのかが、わからない。
 マイクとフィオが首を傾げたと同時に、ヴェロニカが頭を振った。
「あー……その怪しい男をわたしが追いかけた。そしたら、この部屋に逃げ込んだの。その男が剣を振り回すからとっさにこの椅子を持ち上げて防いでしまった。最近いろいろあって、どうも過激になっていたみたい……」
 ごめんなさい、やりすぎました、とヴェロニカが頭を下げた。
「……うむ、痴漢には逃げられたが、誰にも怪我がなかったのだ、良しとしよう。ヴェロニカ、お前も疲れているのだろう。今日は早めに休みなさい」
「はい……気を付けます」
 父に頭を軽く撫でられて、珍しいことに、ヴェロニカが年頃の娘らしい表情をわずかに見せた。
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