王女・ヴェロニカ
「はい。自害することも考えましたわ。でもヴェロニカさまも陛下も、きっと怒るでしょう。いっそのことノア王子を害することも考えましたが、これもいらぬ争いを招きます」
 ならばわたくしはここから逃げます、とビアンカが決意表明したところで、背後で手をたたく音がした。
「美しい可憐な容姿をしていながら、勇ましい姫君じゃな」
「あ、ヒーリアさま!」
「よいよい。ハリーそなた、リーカ国までこの姫君を送って行け。わらわはそれを伝えに来た」
 思いもかけぬ言葉に、ハリーとビアンカは思わず顔を見合わせた。
「ハリー、姫を送って行った後はそなたの好きにせよ。祖国へ帰る……いや、そなたの祖国は……。リーカで世話になるもよかろう。リーカとは縁があるのであろう?」
「はい。兄が引き取られたのはリーカ王国です。いまは王宮を出たようですが……」
 ヒーリアは、跪いているハリーの顔を上に向けさせた。
「山越えには金が要るのであろう? わらわは、国から出たことがないゆえよく知らぬが……」
 言いながら、ヒーリアが小さな金色の袋を投げてよこした。ビアンカがとっさに受け取ると、じゃら、と音がしてずしりと重い。
 ハリーが驚いたような顔でヒーリアを見た。
「……餞別と、長らくわらわに仕えてくれた礼じゃ。わらわはこれから毎日、いつもの商人や踊り子たちを呼んで宴を催す。彼奴らには強かに酒をふるまっておくゆえ、荷馬車にでも潜り込んで王宮を出よ」
「しかしヒーリアさま……そんなことがバレたら……」
 構わぬ、とヒーリアは笑った。
「ハリー、そなた、いつまでもここで『慰み者』でいるつもりか? これは自由になれる最初で最後のチャンスぞ。わらわの分まで、自由に生きよ。これは命令じゃ」
 ハリーが、ヒーリアの細く白い手をぎゅっと握った。
「ヒーリアさま、このご恩は忘れません。いつか必ず、この地獄からお救いいたします」
「期待せずに待っているぞ」
 ではな、と立ち去るヒーリアの背中に、ビアンカは飛びついた。
「あの、ヒーリアさま。ありがとうございます。わたくし、国に戻りましたら、この御礼は必ず……」
「そなた、強い姫じゃな。もし可能なら……ハリーを幸せにしてやってくれ。それが最大の礼ぞ」
「それはどういう……?」
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