今度こそ、ずっと、あなたの隣にいる
『補給、増援が進まない中、それでも日本軍は作戦を開始した。
けれど弾薬も食料も底をつき、若い兵隊でさえも体力がみるみる低下し衰弱していった。
その状態での戦闘はままならず、司令部に何度も食料、弾薬の補給を行ってほしいと要請したにも関わらず、補給はされなかった。
食料も底をついたことで、兵隊の栄養失調と疫病が蔓延し始め、けれど上からの命は「天皇の誕生日までに目的地のインパールを占領せよ」という冷酷なものだった……。
一発の弾丸、一粒の米さえも補給されないまま、なんとか戦っていたものの雨季の季節が到来し更に兵隊たちを苦しませた……。
年間降水量9千ミリという世界一の豪雨が襲い、濁流に巻き込まれ溺死した兵も多かった。
戦争している場合ではないと、命令違反だと分かりつつも独断で撤退を始めたの』
今なら、そんな無謀な作戦なんてないだろうに。
それでも彼らは何故、戦えたと言うんだ……。
上からの命令は絶対だったからか?
もし、そうだというのなら、
もし、当時の大日本帝国の上にいた人達がもっと兵隊一人一人の命を大切に考えられる人たちだったのならば、既に撤退させてくれていたかもしれない。
そもそも、こんな無謀な作戦を行うことがなかったのかもしれないー……
『でも撤退を始めた日本軍を襲ったのは飢え。
食料の尽きや兵隊たちはなんとかしようと、ジャングルで採れた雑草を煮込んで食べたり、今では考えられない蛇や蛙、トカゲ、食べられるものはなんでも食べたそうよ。
それでも飢えと栄養失調からくる体力低下で、多くの兵隊がマラリア、赤痢、デング熱に冒され死んでいった。
「高熱が続いてフラフラな足取りにも関わらず、歩き続けた兵士もいた、中には死んだ方が楽になれる……そう思える兵士もいた」とその作戦に招集された方が言っていたらしいわ。
それでも背後から襲ってくるイギリス軍、イギリス軍は陸だけでなく、グライダー部隊を遣い、空からも奇襲してきた。
日本軍の撤退した道にはやせ細った死体が限りなく続いた。まもなく息絶えると思われる負傷者もいる。
生きている者は死臭に鼻を布で覆い、あまりの悲惨な光景に目を背けながら通り過ぎたと言うわ。
やがて雨風に洗われ、朽ち果てた軍服を着た白骨が限りなく続く光景が現出した。
それが、「白骨街道」と言われるようになったの』
………なんだったんだろう。
戦争ってなんだったんだろう。