ボロスとピヨのてんわやな日常
〇月◎日(曇り山沿いでは霧注意)午後一時
川に着いた俺は、目の前に広がる景色を見て思わずため息を吐いてしまった。
俺がいた街にないような風景があったからだ。川の近くには民家が見えない。遠くに見える山。田んぼに青々と伸びた稲や、俺の背丈以上に伸びた雑草が群生する土地や林。ほぼ自然物で形成された景色だ。
そして、川に着いた早々、問題が発生してしまった。川の流れがはやく、足場がないため、俺得意の尾での釣りができるポイントが見つからないのだ。ピヨも前回のように材料を見つけて何とか手製の釣り竿をつくったものの、魚がたくさん釣れるポイントが見つからず、苦戦しているようだった。
「自然界の魚のほうが捕まえにくいっていうからな。街だとハトが見つけられるけど、姿どころか影すら見えないし。と、いうことはカエルとかネズミを探すことになるのか」
やはり、簡単にはいかなかった。しかもリッターたちは大型犬だ。あの大きな体で自然界のものから生きていくためのエネルギーを得るなど、ここではほぼ不可能に近いだろう。
生きていくために効率よくできる食事。それが、彼らにとって人間から食べ物を奪い取る行為なのだ。
「ピヨなら、そこら辺の草でも腹が満たされるだろうけど。生憎、俺やリッターたちは草食じゃなく、肉食にちかい。確かに、このままだとリッターの言うように飢え死にだな」
人間との共存と偉そうに言ったが、人間が毒団子を撒くほどリッターたちを嫌っているのなら、もはや叶わない奇麗事なのかもしれない。
その時だ。どこからか美味そうな匂いがしてきた。しかも、先程、嗅いだ肉団子ではない匂いだ。
「食い物と一緒に人の匂いがする! ピヨ、背中に乗れ。匂いのもとを探しにいくぞ」
俺は知っている。背中にピヨを乗せていたら、人間のウケがいい。親友のカギから教わった、街での餌を得られるコツというのは、おそらくここでも同じのはずだ。
匂いのもとに向かって全力疾走すると、草むらを抜けた先に広い畑があった。その畑の傍らで、ひとりのばあさんが弁当の包みを開けて食べているのが見えた。
「匂いのもとはあれだったのか。よし、食糧確保大作戦開始だ」
餌が目の前にあるからと言って焦らない。それが俺のスタイルだ。慌てる乞食は貰いが少ないとわかっているからだ。
まず、俺はひと声鳴くと、ゆっくりとばあさんに近づいて目の前に座った。
「おや、おなかがすいているのかい? じゃあ、タマゴ焼きでもあげるかね」
――タマゴ焼き大好きです! と、ここで飛びつくような真似はしない。ひと声「にゃあ」と鳴いて、お礼を言ってから、しっかりと咀嚼する。
「美味しそうに食べるんだねえ。あらあら、背中にかわいいのが乗ってる。黒豆なら食べられるかな。にゃんこちゃんには、おかかおにぎりを少しあげようね。お水も用意してあげるから、逃げずに待ってておくれよ」
街ではどんなに頑張っても少ししかもらえなかった。しかし、このばあさんはおかずだけでなく、自分の食べる量を削ってでも俺に食べ物をくれている。何となく、独り身なのかなと感じた。
「やったなピヨ。幸先いいぞ。魚屋の親父が車を出すまでの一週間は、なんとか飢え死にしなくてすみそうだ」
ピヨは俺を見て首を縦に振ると、リッターたちのいる山の方へ視線を向けていた。
――ああ、くそっ。ピヨの嫌な癖が出やがったか。
「リッターたちのことは諦めろ。リッターならともかく、ムクとあの右耳が裂けた白い犬の剣幕を見ただろう。あそこまで人間を嫌って、同じことを続けるというのなら、もう収拾がつかない。俺たちが何をしても無駄だ」
ピヨは貰った黒豆を口に入れたが、何故か咀嚼しようとはせず頬袋に収めたようだった。
「そんな黒豆ひとつで感謝されるとは思えないぞ。ほら、ばあさんが戻ってくる前に胃袋に収めろ。今度は頬袋に入れられないほど貰えるかもしれないぞ」
そうピヨに言うと、ばあさんが透明のパックに水を入れて戻ってきた。食事ができて、冷たい水も飲めて最高の気分だ。
しかし、ばあさんは水を置くと落ち着かない様子で、その場を離れる。
見ると、畑の向こうに一台の小型トラックが停まっていた。荷台には網や棒。動物を中に入れる大きなゲージがある。そして、猟銃も見えた。
「もっと何か方法がなかったものかね。かわいそうに思えてしまうよ」
「駄目だろうな。特に白いのは子どもまで襲っているし。モジャのほうは物を盗む始末だ。一度、そういうことをして味をしめた動物は何度でも同じことをする。小犬を見たという者もいる。だから、それが大きくならないうちに捕まえるか、殺処分したほうがいい」
ばあさんと車の主であるじいさんの話を聞いて、俺は震えた。
白いのとは、俺に本気で迫ってきた右耳が裂けたやつだろう。石を投げつけられて反撃したのかもしれない。そして、おそらくモジャとはムクのことだ。あの時、盗まれた人が警察や市に伝えたのかもしれない。
「どこに住み着いているのかも確認している。今夜中までには始末をつけるつもりだ」
真剣な表情で、じいさんは山を睨みつける。
起きてほしくないと思っていた事態の、あまりにもはやい展開に、俺の目の前は真っ白になっていた。
川に着いた俺は、目の前に広がる景色を見て思わずため息を吐いてしまった。
俺がいた街にないような風景があったからだ。川の近くには民家が見えない。遠くに見える山。田んぼに青々と伸びた稲や、俺の背丈以上に伸びた雑草が群生する土地や林。ほぼ自然物で形成された景色だ。
そして、川に着いた早々、問題が発生してしまった。川の流れがはやく、足場がないため、俺得意の尾での釣りができるポイントが見つからないのだ。ピヨも前回のように材料を見つけて何とか手製の釣り竿をつくったものの、魚がたくさん釣れるポイントが見つからず、苦戦しているようだった。
「自然界の魚のほうが捕まえにくいっていうからな。街だとハトが見つけられるけど、姿どころか影すら見えないし。と、いうことはカエルとかネズミを探すことになるのか」
やはり、簡単にはいかなかった。しかもリッターたちは大型犬だ。あの大きな体で自然界のものから生きていくためのエネルギーを得るなど、ここではほぼ不可能に近いだろう。
生きていくために効率よくできる食事。それが、彼らにとって人間から食べ物を奪い取る行為なのだ。
「ピヨなら、そこら辺の草でも腹が満たされるだろうけど。生憎、俺やリッターたちは草食じゃなく、肉食にちかい。確かに、このままだとリッターの言うように飢え死にだな」
人間との共存と偉そうに言ったが、人間が毒団子を撒くほどリッターたちを嫌っているのなら、もはや叶わない奇麗事なのかもしれない。
その時だ。どこからか美味そうな匂いがしてきた。しかも、先程、嗅いだ肉団子ではない匂いだ。
「食い物と一緒に人の匂いがする! ピヨ、背中に乗れ。匂いのもとを探しにいくぞ」
俺は知っている。背中にピヨを乗せていたら、人間のウケがいい。親友のカギから教わった、街での餌を得られるコツというのは、おそらくここでも同じのはずだ。
匂いのもとに向かって全力疾走すると、草むらを抜けた先に広い畑があった。その畑の傍らで、ひとりのばあさんが弁当の包みを開けて食べているのが見えた。
「匂いのもとはあれだったのか。よし、食糧確保大作戦開始だ」
餌が目の前にあるからと言って焦らない。それが俺のスタイルだ。慌てる乞食は貰いが少ないとわかっているからだ。
まず、俺はひと声鳴くと、ゆっくりとばあさんに近づいて目の前に座った。
「おや、おなかがすいているのかい? じゃあ、タマゴ焼きでもあげるかね」
――タマゴ焼き大好きです! と、ここで飛びつくような真似はしない。ひと声「にゃあ」と鳴いて、お礼を言ってから、しっかりと咀嚼する。
「美味しそうに食べるんだねえ。あらあら、背中にかわいいのが乗ってる。黒豆なら食べられるかな。にゃんこちゃんには、おかかおにぎりを少しあげようね。お水も用意してあげるから、逃げずに待ってておくれよ」
街ではどんなに頑張っても少ししかもらえなかった。しかし、このばあさんはおかずだけでなく、自分の食べる量を削ってでも俺に食べ物をくれている。何となく、独り身なのかなと感じた。
「やったなピヨ。幸先いいぞ。魚屋の親父が車を出すまでの一週間は、なんとか飢え死にしなくてすみそうだ」
ピヨは俺を見て首を縦に振ると、リッターたちのいる山の方へ視線を向けていた。
――ああ、くそっ。ピヨの嫌な癖が出やがったか。
「リッターたちのことは諦めろ。リッターならともかく、ムクとあの右耳が裂けた白い犬の剣幕を見ただろう。あそこまで人間を嫌って、同じことを続けるというのなら、もう収拾がつかない。俺たちが何をしても無駄だ」
ピヨは貰った黒豆を口に入れたが、何故か咀嚼しようとはせず頬袋に収めたようだった。
「そんな黒豆ひとつで感謝されるとは思えないぞ。ほら、ばあさんが戻ってくる前に胃袋に収めろ。今度は頬袋に入れられないほど貰えるかもしれないぞ」
そうピヨに言うと、ばあさんが透明のパックに水を入れて戻ってきた。食事ができて、冷たい水も飲めて最高の気分だ。
しかし、ばあさんは水を置くと落ち着かない様子で、その場を離れる。
見ると、畑の向こうに一台の小型トラックが停まっていた。荷台には網や棒。動物を中に入れる大きなゲージがある。そして、猟銃も見えた。
「もっと何か方法がなかったものかね。かわいそうに思えてしまうよ」
「駄目だろうな。特に白いのは子どもまで襲っているし。モジャのほうは物を盗む始末だ。一度、そういうことをして味をしめた動物は何度でも同じことをする。小犬を見たという者もいる。だから、それが大きくならないうちに捕まえるか、殺処分したほうがいい」
ばあさんと車の主であるじいさんの話を聞いて、俺は震えた。
白いのとは、俺に本気で迫ってきた右耳が裂けたやつだろう。石を投げつけられて反撃したのかもしれない。そして、おそらくモジャとはムクのことだ。あの時、盗まれた人が警察や市に伝えたのかもしれない。
「どこに住み着いているのかも確認している。今夜中までには始末をつけるつもりだ」
真剣な表情で、じいさんは山を睨みつける。
起きてほしくないと思っていた事態の、あまりにもはやい展開に、俺の目の前は真っ白になっていた。