ボロスとピヨのてんわやな日常
 霧が出てきたためだろうか、先程の気温からは想像できない肌寒さだ。
 小型トラックは山道に入る手前で速度を落とし、道の脇に停車していた。荷台からすぐに降りると見つかりそうなので、様子を見てから降りることにする。緊張しながら耳を澄ましていると、じいさんの声が聞こえてきた。
「みんな揃っていたのか。野犬の様子はどうだ?」
「風下というのもあって、まだ気づかれてはいないみたいだな。ただ、霧が出てきたから風の向きが急に変わるかもしれない。塩野のばあさんには連絡したか?」
「ああ、犬のことを気にしていたようだけどな。役所にも山に近づかないよう放送をかけてくれと言った。時刻は二時か……では、二時十五分になったら予定通りはじめるぞ」
 物々しい雰囲気が、更に周囲の気温を下げた気がした。その時だ。近くにある広報のスピーカーから鐘の音が鳴る。そして、放送が流れた。
「お知らせをいたします。本日、午後二時から野犬狩りをはじめます。危険ですので、山に近づかないようにしてください」
 これを聞いた男たちの顔が更に険しいものとなり、猟銃をもった者、野犬捕獲用の棒をもった者たちが準備をはじめる。
 ここで俺は荷台から降りると、全力疾走でリッターたちのいる洞窟へと向かった。
 距離から計算すると、俺が到着するのと人間が到着する時間の誤差は五分ぐらいといったところか。
 別れかたが険悪なムードだっただけに、会ったらどのような反応をされるだろうか。悩みながらも洞窟に向かって駆けると、入口にリッターの姿が見えた。
「リッター、今すぐ逃げろ。銃や捕獲棒を持って、人間がここに来ようとしている。このままだと全員捕まるぞ!」
 人間が近くにきている以上は隠すこともできない。驚くリッターが洞窟に向かって叫ぶよりはやく、副リーダーのガイが姿を見せた。
「それは本当か。何人だ?」
「何人だろうと、銃を持っていたら緊急事態だろ。流暢なこと言ってないで逃げろ」
 ガイのことだ。人数が少なければ迎え討とうと考えたのかもしれない。続けて白いのとムクが出てくる。その表情は先程の剣幕の時とは打って変わって強張っていた。
「いつ、人間につけられたんだ……もしかして俺が食べ物を盗んだ時に……」
 ムクが震え声を出しながら頭を抱える。
 いつかはこうなると思っていたんだ。そう言いたくても今の状況では意味がない。
「とにかく子どもだけでも逃がすんだ。そうでないと……」
 と、俺が言いかけたところで、人間の話し声が聞こえた。それを聞いたムクが慌てて逃げ出す。そして、白いのはというと歯を剥き出しながら唸り声を出しはじめた。
 同じ群れの仲間だというのに行動がえらい違いだ。これではもうリッターもリーダーという役割を成していないだろう。統制が取れないまま混乱しはじめた、その時だ。
「ピヨピピヨピッピッー」
 突然、ピヨが大きな鳴き声をあげた。その途端、周囲の木々がざわつきはじめたかと思うと、たくさんの鳥の鳴き声が響きはじめる。
 おそらくピヨが何らかのかたちで鳥たちと共闘したようだが、ピヨ語がわからない俺には理解できない。しかし、その時だ。
「ピヨくんは、森の鳥たちに人間に虐められそうだから助けてほしいと言ったようだね」
 どこからか、ピヨ語を翻訳する声が聞こえた。この声、聞き覚えがある。まさか、と思うが、そのまさかだよな。
「その声、親父か? どこにいるんだ?」
 辺りを見回すが、探す声の主は見つかない。代わりに子どもたちを逃がそうとしていたリッターが不思議そうに俺を見る。そりゃそうだ。誰もいないのに話しかけているのだから。幽霊の親父のことを説明しても、信じてもらえそうにないので、ここではスルーだ。
 取り敢えず、頭の中で整理しよう。親父はあの時消えたはずだ。多分、成仏したというかたちで。そして、目的地は橋の向こうと言っていた。そう、ここにいるはずがないんだ。
 緊迫した状況という不安で、幻聴まで聞こえるようになったとは、俺も衰えたな――と、思っていたら、犬の叫び声が聞こえた。声の主は先程逃げたムクに間違いなかった。
 どうやら、人間は俺たちを完全に囲いこんでいるらしい。そうなると逃げたとしても捕まるのは時間の問題だ。まさに絶体絶命。俺は深く息を吸って、気を落ち着かせた。
「リッター、洞窟の中に逃げるんだ。子どもも含めて全員だ」
「逃げ場がないのに洞窟の中にだと? 追いつめられて捕まるぞ」
 それは俺もわかっている。わかっていてそう伝えたのは、逃げるのは得策ではないと判断したためだ。成犬のムクが捕まったのなら、子犬は確実に捕まるだろう。それなら、下手に抵抗しないほうがいい。
 その時、白いのが吠えた。白い奴の視線の先を見ると、捕獲棒を持った人間が見えた。ここでもし白いのが人間に襲いかかったらどうなるのだろうか。猫の俺が、力で大型犬をとめられるはずもない。
「後先考えずに行動するのはいかんな若者よ」
 そんな万事休すの状態のなか、また幻聴が聞こえたかと思うと、何故か俺の意思を反して体が動き、俺は二本足で立ちあがっていた。
< 25 / 61 >

この作品をシェア

pagetop