ボロスとピヨのてんわやな日常
 皆々、頭をあげるがいい。私はそなたらを怒っているのではなく、森を騒がせたことを怒っているのです。そう、猫神になりきって言えたら、どんなに楽なことだろう。
 しかし、俺はピヨに伝えたように保守派な猫さんなわけで。木を倒した猫パンチの体勢のまま、どうしていいのかわからず、動けないくらいなのである。
 穴があったら入りたいと言っても、リッターたちに冷静に洞窟を指し示されそうだし。
 どう収拾をつけたらいいのか回答がほしくて親父やピヨを見ても、期待されているような輝いた瞳で無言の返事をされるだけだ。
 どうしたらいいの、俺。このピンチを切り抜ける方法を考えるんだ。しかし、俺には名案が思い浮かばない。もう、猫神になりきるしかないと思った時だ。
「木が倒れる音がしたけど、誰も怪我してないかい!」
 聞き覚えのある声が森の中に響いた。声がしたほうを見ると、畑で俺に食べ物をくれた、ばあさんがいた。
「塩野さん。なぜ、きたんだ! 危ないから家の中にいてくれと言っただろう」
 即座に反応したのが、畑で話していた猟銃を持ったじいさんだ。
 けれど、塩野という名字のばあさんは、首を横に振って引きさがらなかった。
「そんな物騒な物、もうおろしよ。犬たちは皆、座って静かにしているだろう。子犬だって怯えているじゃないか」
 そう言うと、塩野のばあさんは俺に近づいてきて、頭を優しく撫でてくれた。
「あなたが車に乗ったのを見て、心配でここにきたんだよ。やっぱり、犬たちと友達だったんだね。無事でよかった」
 出会いという繋がりは、なんとも粋なものである。そして、猫神などという伝説をも吹き飛ばすくらい、清高なものだと思う。塩野のばあさんの登場のお蔭で、猫神さまだと怯えていた人間と犬たちの様子も穏やかなものになっていた。
 同時に、人間たちは持っていた銃や捕獲棒をおろしていく。
 次に、塩野のばあさんはピヨがいることも気づいたようだった。そして、何かを思いついたように手のひらを叩く。
「そういえば、小学校で何か動物を飼いたいと言っていたじゃないか。子犬は小学校で飼ってもらったらどうだい? 成犬はなんなら私が引き取るよ。走り回らせることができる土地はあるからね」
 塩野のばあさんは、俺とピヨを撫でて「あなたたちもくるだろう」と言ってくれる。
 険しい表情と声を荒げていた人間しか知らない子犬たちは、塩野のばあさんが近づいてきたのを見て慌てて逃げようとした。母親も警戒して臨戦態勢をとる。
 ここで何か問題が起きれば、せっかく騒動が収まりかけているのに台無しだ。
「怖がらなくていい。このばあさんなら大丈夫だ。動かないで、じっとしてろ」
 俺の指示に子犬たちは素直に従ってくれた。猫神さまと思われたことで恐れられているのかもしれないが、ここは勘違いされたとは思わず、良しと考えよう。
「あなたがお母さんかい? 随分と痩せてるね。それなのに子どもたちは、ちゃんとした体だ。食べるのも我慢して育ててきたんだねえ」
 塩野のばあさんは一匹ずつ、子犬の頭を撫でていく。その時だった。リーダーのリッターが「ワンッ」とひと声吠えると、塩野のばあさんを見ながら尾を振る。リッターの行動に驚いたのは、他の犬たちだ。
 俺は何となく感じ取っていた。リッターは人間の臭いが嫌いとは言っていても、議論の時は人間全てを卑下してはいなかった。もしかしたら、リッターは人間に飼われていたのではないだろうか。しかも、愛情深い飼い主に育てられていたような気がする。この塩野のばあさんのような人に。
「あなたがお父さんみたいだね。子どもたちがそっくりだもの」
 もう、人間と野犬たちの間に確執は感じられなかった。気絶から目覚めた白いのも、人間に捕縛棒で捕まえられて連れてこられたムクも、今は静かにしている。
「塩野のばあさまが猫神さまと既に出会っていたとは。これも何かのお導きかもしれんな。南無南無……」
 手を合わせながら語る年長者に、塩野のばあさんが不思議そうな顔をする。当たり前だろう。俺が猫神さまになった経緯すら知らないのだから。聞いたって、信じるとも思えないし。いや、信じてほしくはないんだけど。本当のところは訂正してほしいんだけど。
 しかし、この年長者の言葉が人間たちに結論をつけさせたようだった。
「塩野のばあさん。本当に犬たちを引き取ってもらっていいのか?」
 その問いに、塩野のばあさんは幸せそうに笑う。
「そうだね。これだけたくさんの犬たちがいたら、話相手には困らないだろうね。これから先の人生も楽しみだよ」
 塩野のばあさんの微笑みは奇麗な夕日に照らされて、まるで観音さまのように見えたのだった。
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