ボロスとピヨのてんわやな日常
○月◇日(快晴)午前十時
美味い食事に気の合う仲間たち。そして、良い天気に安心できる場と休息時間。
朝飯を食べて腹も満たされ、気持ちの良い眠りに就こうとすると、恒例となった子犬たちの追いかけっこがはじまる。
「今日こそ、捕まえるぞ。ピヨ、そろそろ往生際よく観念しやがれい!」
あの騒ぎから数日経ち、俺たちは塩野のばあさんに世話をしてもらっていた。
その塩野のばあさんの庭で開始された、かけっこの鬼はピヨの係だ。子犬三匹には今まで名前がなく、これから引き取る小学生たちが名前をつけたらしい。
長男だがのんびりやのリク。やんちゃな次男のカイ。一番小柄で温厚な長女のソラ。
子犬たちは、まだ予防注射を終えていないので、あと一か月間はここで過ごし、その後、小学校に譲り受けられると聞いた。
追いかけっこでピヨを一番手に追いかけるのは、やんちゃな次男のカイだ。どうやら、塩野のばあさんが観ている時代劇の口真似をしているようだが、それは悪役のセリフじゃないか? と、言うのはやめておこう。
跳びついたカイを跳んで避けたピヨは、カイの頭を踏み台にして更に高く跳ぶ。リクが捕まえようと手を出すが、ピヨは小さな羽根を動かして着地地点を変えていた。さすが鳥、まだヒナで上手く飛べなくても、空中で方向転換くらいはできるらしい。
着地したところでソラが手を出すが、ピヨはソラの股下を潜って逃れていた。
これは毎度同じパターンである。子犬ども、ピヨを見事捕まえたら、俺にそいつを譲ってくれよ。と、思いながら観察しているのは、ここだけの話で。
だって、だって、動いていたら獣としては狩って食いたくなるのが本来の姿でしょうが。俺だって、まだピヨを食うことは諦めきれていないわけである。
「ピヨ待てー」
待てと言われて待つ鬼がどこにいるというのだろうか。しかし、ここでまずいことに気づいた。ピヨがこっちに向かってくる。
「うわっ、こっちにくるな」
その注意は既に遅く、寝ていた俺はピヨに跳び越えられ、続けてきた三匹の子犬に踏まれる羽目になった。しかも三匹って。中身が出るじゃないか。
両親が大型犬の子犬たちの成長ははやい。あと数か月経って踏み潰されたら、確実に猫せんべいが出来あがってしまうだろう。
「ボロス、先程聞いたのだが、明日にここを発つっていうのは本当か?」
不貞寝しようとすると、リッターが話しかけてきた。どうやら、ピヨにそっと伝えた内容が漏れたらしい。子どもたちが聞いていたのか、あるいは犬族の聴覚も鋭いということなのか。ただ、何も伝えずに姿を消すよりかは、言ったほうがいいと思った。
「ここの生活も良いけどな。やっぱり俺は街猫だ。ここより空気が汚れていても、自然が少なくても、街のほうが落ち着くし、住みやすい。仲間もいるしな。住めば都ってやつさ」
「そうか……せっかく、仲良くなれたのに寂しくなるな。ボロスには助けられたし、今から恩も返したいところなのだが」
「よせよ。お前がいい奴だと思ったから、手助けしようと思ったんだ。それに恩を返すなら、俺よりも塩野のばあさんにだな。年もとっているし、買い物に行く芸でも覚えて、助けてやりな」
「ボロス。お前は薄々気づいていたかもしれないが、俺は前に人間に飼われていたんだ。しかし、飼い主が体調を悪くして病院に行ったきり帰ってこなくてな……そのまま、俺は野犬になってしまった」
ぽつりとつぶやいたリッターの目はどこか寂しげだ。飼い主と過ごした日々を思い出しているのだろう。
「だったら、お前は前の飼い主のためにも、もっと幸せになって、塩野のばあさんを大事にしないといけないな」
俺の応えに、リッターは笑うような素振りを見せた。
「ああ、そうする。ボロスも街に戻っても達者でな」
互いにこれ以上言葉にして伝えることはないだろう。口数少なくても気持ちは伝わる。男同士とはそういうものだ。リッターも同じように考えたのか、その場で伏せて体を休めた。
子どもたちの追いかけっこを母犬と他のオス犬たちも見ている。数日前までは想像もできなかった平和な日常がここにある。
人間に危害を加えた白いのは、名前をシロとつけられ、経過を見るということで檻の中に入れられている。けれど、シロは塩野のばあさんを見ながらこう言っていた。人間にも変わり者がいるんだなと。
人間相手に憎しみという感情しかなかったシロには大きな変化だ。安心できる環境というのは、心に安らぎを与えるものなのだと改めて知った。
「雲の形が魚に見えるなあ」
「いや、あの雲の形は骨つき肉だろう」
互いに雲が何に見えるか言い合うと、小腹がすいていることに気づく。
まるでそれを読み切ったかのように、塩野のばあさんが「おやつだよー」というのが聞こえてきて、俺とリッターは笑ってしまった。
しかし、この時、俺は気づきもしなかった。俺を観察し続けている者がいることに。
「ボロスくん。気になる視線があるのだが……」
その時、親父に忠告はされたものの、俺は聞かないふりをしたのだ。
動物にとっては、未来に起きることより現在が重要だからだ。
おやつにありつこうとリッターと一緒に塩野のばあさんのほうへ駆けた俺は、親父の忠告も時間が経つうちに忘れてしまっていたのだった。
美味い食事に気の合う仲間たち。そして、良い天気に安心できる場と休息時間。
朝飯を食べて腹も満たされ、気持ちの良い眠りに就こうとすると、恒例となった子犬たちの追いかけっこがはじまる。
「今日こそ、捕まえるぞ。ピヨ、そろそろ往生際よく観念しやがれい!」
あの騒ぎから数日経ち、俺たちは塩野のばあさんに世話をしてもらっていた。
その塩野のばあさんの庭で開始された、かけっこの鬼はピヨの係だ。子犬三匹には今まで名前がなく、これから引き取る小学生たちが名前をつけたらしい。
長男だがのんびりやのリク。やんちゃな次男のカイ。一番小柄で温厚な長女のソラ。
子犬たちは、まだ予防注射を終えていないので、あと一か月間はここで過ごし、その後、小学校に譲り受けられると聞いた。
追いかけっこでピヨを一番手に追いかけるのは、やんちゃな次男のカイだ。どうやら、塩野のばあさんが観ている時代劇の口真似をしているようだが、それは悪役のセリフじゃないか? と、言うのはやめておこう。
跳びついたカイを跳んで避けたピヨは、カイの頭を踏み台にして更に高く跳ぶ。リクが捕まえようと手を出すが、ピヨは小さな羽根を動かして着地地点を変えていた。さすが鳥、まだヒナで上手く飛べなくても、空中で方向転換くらいはできるらしい。
着地したところでソラが手を出すが、ピヨはソラの股下を潜って逃れていた。
これは毎度同じパターンである。子犬ども、ピヨを見事捕まえたら、俺にそいつを譲ってくれよ。と、思いながら観察しているのは、ここだけの話で。
だって、だって、動いていたら獣としては狩って食いたくなるのが本来の姿でしょうが。俺だって、まだピヨを食うことは諦めきれていないわけである。
「ピヨ待てー」
待てと言われて待つ鬼がどこにいるというのだろうか。しかし、ここでまずいことに気づいた。ピヨがこっちに向かってくる。
「うわっ、こっちにくるな」
その注意は既に遅く、寝ていた俺はピヨに跳び越えられ、続けてきた三匹の子犬に踏まれる羽目になった。しかも三匹って。中身が出るじゃないか。
両親が大型犬の子犬たちの成長ははやい。あと数か月経って踏み潰されたら、確実に猫せんべいが出来あがってしまうだろう。
「ボロス、先程聞いたのだが、明日にここを発つっていうのは本当か?」
不貞寝しようとすると、リッターが話しかけてきた。どうやら、ピヨにそっと伝えた内容が漏れたらしい。子どもたちが聞いていたのか、あるいは犬族の聴覚も鋭いということなのか。ただ、何も伝えずに姿を消すよりかは、言ったほうがいいと思った。
「ここの生活も良いけどな。やっぱり俺は街猫だ。ここより空気が汚れていても、自然が少なくても、街のほうが落ち着くし、住みやすい。仲間もいるしな。住めば都ってやつさ」
「そうか……せっかく、仲良くなれたのに寂しくなるな。ボロスには助けられたし、今から恩も返したいところなのだが」
「よせよ。お前がいい奴だと思ったから、手助けしようと思ったんだ。それに恩を返すなら、俺よりも塩野のばあさんにだな。年もとっているし、買い物に行く芸でも覚えて、助けてやりな」
「ボロス。お前は薄々気づいていたかもしれないが、俺は前に人間に飼われていたんだ。しかし、飼い主が体調を悪くして病院に行ったきり帰ってこなくてな……そのまま、俺は野犬になってしまった」
ぽつりとつぶやいたリッターの目はどこか寂しげだ。飼い主と過ごした日々を思い出しているのだろう。
「だったら、お前は前の飼い主のためにも、もっと幸せになって、塩野のばあさんを大事にしないといけないな」
俺の応えに、リッターは笑うような素振りを見せた。
「ああ、そうする。ボロスも街に戻っても達者でな」
互いにこれ以上言葉にして伝えることはないだろう。口数少なくても気持ちは伝わる。男同士とはそういうものだ。リッターも同じように考えたのか、その場で伏せて体を休めた。
子どもたちの追いかけっこを母犬と他のオス犬たちも見ている。数日前までは想像もできなかった平和な日常がここにある。
人間に危害を加えた白いのは、名前をシロとつけられ、経過を見るということで檻の中に入れられている。けれど、シロは塩野のばあさんを見ながらこう言っていた。人間にも変わり者がいるんだなと。
人間相手に憎しみという感情しかなかったシロには大きな変化だ。安心できる環境というのは、心に安らぎを与えるものなのだと改めて知った。
「雲の形が魚に見えるなあ」
「いや、あの雲の形は骨つき肉だろう」
互いに雲が何に見えるか言い合うと、小腹がすいていることに気づく。
まるでそれを読み切ったかのように、塩野のばあさんが「おやつだよー」というのが聞こえてきて、俺とリッターは笑ってしまった。
しかし、この時、俺は気づきもしなかった。俺を観察し続けている者がいることに。
「ボロスくん。気になる視線があるのだが……」
その時、親父に忠告はされたものの、俺は聞かないふりをしたのだ。
動物にとっては、未来に起きることより現在が重要だからだ。
おやつにありつこうとリッターと一緒に塩野のばあさんのほうへ駆けた俺は、親父の忠告も時間が経つうちに忘れてしまっていたのだった。