ボロスとピヨのてんわやな日常
 餌をあげたので、虎ノ介は何もしてこない。そう思っていた男は驚いたことだろう。
 いつも温厚でのんびり屋の虎ノ介が、まるで変身したかのようだ。こいつは頼もしい。
「いいぞ、虎ノ介! 今、ピヨを呼んでくるから頑張れ」
「それだけは、それだけは持っていかないでー」
 男のズボンに噛みついたまま奮闘している虎ノ介に声をかけると、理解できない答えが返ってきた。泥棒を懲らしめようとする番犬というと聞こえがいいかもしれないが、虎ノ介は年寄りだ。それなので鼻水をたらし、よだれを出し、充血した目で泥棒のズボンの裾を必死の形相で噛んでいた。泥棒は苛立ったのか、もう片方の足で虎ノ介を蹴る。
「虎ノ介!」
 思わず俺は声をあげてしまう。しかし、虎ノ介は離さなかった。
 蹴られたくない。痛いのは嫌だと言っていた虎ノ介が、ここまで必死になる理由は一体なんなのか。
「幸太の貯金箱を返せー」
 鼻水が混じった鼻息を出しながら、虎ノ介ははっきりと必死になる理由を言った。
 とはいえ、頑張れと言っても虎ノ介の体力では時間の問題だろう。
 それにしても、肝心な時にピヨはどこに行ったんだ? あいつの考えていることはよくわからん。こうなったら、また俺が爪攻撃を――と思ったら、泥棒が貯金箱を放り投げる。
「おわわっ、ちょっ……あぶなっ!」
 慌てて俺は貯金箱を空中でキャッチした。魚屋の親父から餌を投げ渡された時に編み出した技だ。俺は猫界のゴールデングラブ賞を取れると自信を持つほどのキャッチの名人なのだ。
 しかし、虎ノ介は泥棒が貯金箱を投げたのを気づかなかったらしい。噛み続けている虎ノ介を引き離そうとしたのか、泥棒が手を出す。虎ノ介は今度はその手に噛みついた。
「うわっ、離せ。この馬鹿犬が!」
 手袋をはずすことで虎ノ介の牙から逃れた泥棒は、何も取らずに外に出ようとした。ところが、そこで足をとめる。
「靴が……靴がないぞ! どこいった?」
 泥棒がそう言った時、ピヨが縁側からひょっこり顔を出す。そして、何かを投げて泥棒の顔に命中させた。えっとあれは何だ?
「きゃー!」
 瞬間、虎ノ介が投げられた物を確認して、顔に似合わない悲鳴をあげる。それは、掘り出していたムカデだ。ピヨは続けてカエルの死骸を投げつける。さすがの泥棒も気味が悪いのだろう。慌てた様子でカエルの死骸を避ける。同時に、ピヨが大きく息を吸いこんだ。
「ピヨッピー!」
 まるで競技用のフエを吹いたかのような大きな音が響き渡る。そこでようやく俺は気づいた。そうだ、泥棒を最も楽に撃退できる方法があったじゃないか。
「吠えろ、虎ノ介! 番犬の心意気見せてやれ!」
「バウバウワンワン!」
 虎ノ介が吠えはじめたと同時に俺も声を上げる。この騒ぎで誰かが来ると予想したのだろう。泥棒は慌てて靴を履かないまま逃げていった。
 残ったのは泥棒の手袋と、そして泥棒の――。
「ピヨッ」
 ピヨが部屋の中に靴を放り投げる。こいつ、隠していたのかよ。ということは、外に出た理由って靴を隠すためと、あのカラスが隠した餌を投げつけるためか。
「よかったな虎ノ介。これで部屋の荒れようは、お前の仕業じゃなく、泥棒のせいだとわかるはずだ」
 一息吐いて虎ノ介に言うが、返事がなかった。ただ、泥棒が持っていこうとした貯金箱を前に、安堵の表情を浮かべている。
「よかった、幸太の貯金箱が無事で……幸太、この貯金箱を買ってきた時、僕に見せてくれたんだ。お前に似てるだろう。この貯金箱にたくさんお金を貯めて、お前の首輪を買ってあげるからなって、言ってくれたんだ。この貯金箱、面白い顔だよね。僕に全然似てないのに。けど幸太はこの貯金箱を持っている時、すごく嬉しそうな顔をするから、僕はこの貯金箱がすごく好き」
 いや、すごく似ていると思うんだけど。と言おうと思ったけど、やめておこう。
 飼い主が嬉しそうだからという話を聞いても、野良猫の俺は飼い犬の気持ちなどよくわからない。しかし、これが飼い犬と飼い主の絆というものなのだろう。
「それじゃ虎ノ介、俺らは出掛けるぞ。だから、ちゃんと番犬の仕事を……」
 また返事がない。見てみると、虎ノ介はそのまま寝てしまっていた。ピヨも安心したのか、目を閉じてしまっている。
「ああくそっ、世話がやける奴らめ! どうすんだよ、この部屋の状況!」
 俺の叫びに答えるかのように、餌を掘り返されたカラスが外で「カア」と鳴いていた。
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