Uncontrolled(アンコントロールド)
時間の約束をしていた訳ではない。何時まででも待つつもりでいた為、持参してきた読みかけの推理小説をぱらりと捲り、栞を挟んでいたページに視線を落とす。航平と出会うまで読書の習慣はなかったが、彼との話題のひとつになればと勧められるまま読み始めると止まらなくなった。最初に航平が教えてくれたのは純文学だったが、以来、ジャンルを問わず読書が趣味となった。
かさり、かさりと、どれくらいページを読み進めたのか、遠くから聞こえてくる僅かな足音に右耳がぴくりと反応する。段々近づいてくるそれは、耳を澄まさなくても誰のものなのかすぐに分かった。
普段は礼儀正しい靴音を鳴らす彼は、ここに来る時だけは素の自分だとでも言うように、踵を踏み潰して歩いているようなだるそうな音を出す。星名にはそれが、「もう少しで着くよ」と知らせる気遣いのようにも合図のようにも聞こえて、教室の扉が開かれるまでの間、ブレザーのポケットから素早く鏡を取り出すと笑顔を作って覗き込む。笑顔OK、前髪OK。いつものように確認する。
ぴたりと止まった足音。がらりと開かれた引き戸。星名はたった今この瞬間まで本を読んでいましたとばかりに、広げていた小説を閉じると伏せていた瞼を上げる。
「鍵は閉めとけって言ってるだろ」
ブレザーの左胸を紅白のリボン記章で飾った航平がいつもと同じ言葉を口にする。
「だって、ここに来るの先輩か朝倉先輩だけだもん」
ネクタイがない。教室に入ってきた航平を見たとき星名はすぐに気付いたが、隣りに腰かけた彼をよくよく見てみると、ブレザーのボタンが無くなっていた。袖口に付いていたはずのものまで全て。
「先輩、モテモテですね」
呆気に取られつつも思わず頬を膨らませた星名に、航平は「ああ、これ」と面白くもなさそうに続ける。
「一年前からひとつひとつに予約入ってたからな。ボタンだけじゃなくて教科書から筆記用具、カバンまで」
他の男子生徒が同じ言葉を口にしようものなら嫌味に聞こえてしまうが、彼は単に事実として言うだけ。あくまで日常の一部といったふうに。
ネクタイを誰が手に入れたかは聞かなくても分かっていた。航平が触れない事には星名も触れない。少しでも考えると寂しくなってしまうから。
かさり、かさりと、どれくらいページを読み進めたのか、遠くから聞こえてくる僅かな足音に右耳がぴくりと反応する。段々近づいてくるそれは、耳を澄まさなくても誰のものなのかすぐに分かった。
普段は礼儀正しい靴音を鳴らす彼は、ここに来る時だけは素の自分だとでも言うように、踵を踏み潰して歩いているようなだるそうな音を出す。星名にはそれが、「もう少しで着くよ」と知らせる気遣いのようにも合図のようにも聞こえて、教室の扉が開かれるまでの間、ブレザーのポケットから素早く鏡を取り出すと笑顔を作って覗き込む。笑顔OK、前髪OK。いつものように確認する。
ぴたりと止まった足音。がらりと開かれた引き戸。星名はたった今この瞬間まで本を読んでいましたとばかりに、広げていた小説を閉じると伏せていた瞼を上げる。
「鍵は閉めとけって言ってるだろ」
ブレザーの左胸を紅白のリボン記章で飾った航平がいつもと同じ言葉を口にする。
「だって、ここに来るの先輩か朝倉先輩だけだもん」
ネクタイがない。教室に入ってきた航平を見たとき星名はすぐに気付いたが、隣りに腰かけた彼をよくよく見てみると、ブレザーのボタンが無くなっていた。袖口に付いていたはずのものまで全て。
「先輩、モテモテですね」
呆気に取られつつも思わず頬を膨らませた星名に、航平は「ああ、これ」と面白くもなさそうに続ける。
「一年前からひとつひとつに予約入ってたからな。ボタンだけじゃなくて教科書から筆記用具、カバンまで」
他の男子生徒が同じ言葉を口にしようものなら嫌味に聞こえてしまうが、彼は単に事実として言うだけ。あくまで日常の一部といったふうに。
ネクタイを誰が手に入れたかは聞かなくても分かっていた。航平が触れない事には星名も触れない。少しでも考えると寂しくなってしまうから。