傍にいて欲しいのは
間違いの無い選択
奥さまが亡くなって一ヶ月ほど経った頃、会社では、ある噂が流れていた。
山崎専務のお嬢さんと黒沢課長との婚約。黒沢課長が山崎専務のお気に入りなのは、社内の誰もが知っている。
七年前、黒沢課長は、山崎専務の仲人で結婚した。当時まだ高校生だった専務のお嬢さんは黒沢課長を好きだったらしい。でもまさか高校生の娘を嫁がせる訳にはいかない。専務は、親戚筋にあたる奥さまを紹介した。
「奥さまが亡くなって、専務のお嬢さんも二十四歳になった今、黒沢課長が、この会社で上に行くためには必要な結婚よね」
秘書課の何人かで話しているのを偶然、聞いてしまった。
それが、あの人にとって間違いの無い選択。私もそう思った。
お昼休み、久しぶりに課長からのメール。
『今夜八時、来てくれるまで待ってる』
約束の場所、少し遅れて課長の車に乗り込んだ。
「婚約されたんですってね。おめでとう」
「僕は、そんなつもりはないよ。莉奈とやり直したいと思ってる」
「あなたはもっと上を目指せる人よ。部長どころか常務だって専務だって夢じゃないと思う。男の人にとって仕事で成功することは大切なことでしょう? 私のために後悔させたくないの」
「君は本当にそれでいいのか? 僕のところに来てくれる気はないのか?」
「専務のお嬢さんを幸せにしてあげて。あなたが初恋の人なんでしょう?」
「僕が嫌いになったのか? 莉奈……」
「愛してた……」
きっとそう。もう私たち終わってるの……。
「愛してた? なぜ? どうしてだ?」
「私、もう決めたの。会社を辞めて田舎に帰ることにしたから」
「莉奈……。君は本当にそれで幸せになれるのか?」
「私には空気のキレイな田舎が似合ってる。隆文さんのことは忘れない」
忘れられない。初めて本気で愛した人を……。愛されて過ごした時間を……。
「僕は君を傷付けただけだったね。何もしてやれなかった」
「そんなことない。愛される歓びを教えて貰ったわ。それから人を愛する切なさも……」
「莉奈……」
抱きしめられて、おでこにそっとキスされた。涙が零れた。
「あなたに出会えて幸せだった。さよなら」
車を降りて私は一人で歩き出した。黒沢課長、お幸せに……。
あの日……。
あの人と私の赤ちゃんと一緒に、隆文さんへの想いも何処かに消えて行った。
妊娠していたことは、生涯、話すことはないだろう。
半月後……。
私は退職願を出し、七月いっぱいで辞めることになっていた。
「莉奈がいなくなったら寂しくなるわ」
由美には最初に辞めることを伝えた。
同じ課の有志で送別会も開いてもらった。黒沢課長は山崎専務に急に呼び出されて欠席だった。
あの喫茶店のマスターには、引っ越しの挨拶に伺った。
「お世話になりました。実家に帰ることにしました」
「そうか、寂しくなるね。未来也、きょうは休みなんだ」
美香にも連絡を入れて一緒に食事をした。
「長野って良いところよね。きっと遊びに行くから」
そして七月も終わり、私は懐かしい実家に戻った。
山崎専務のお嬢さんと黒沢課長との婚約。黒沢課長が山崎専務のお気に入りなのは、社内の誰もが知っている。
七年前、黒沢課長は、山崎専務の仲人で結婚した。当時まだ高校生だった専務のお嬢さんは黒沢課長を好きだったらしい。でもまさか高校生の娘を嫁がせる訳にはいかない。専務は、親戚筋にあたる奥さまを紹介した。
「奥さまが亡くなって、専務のお嬢さんも二十四歳になった今、黒沢課長が、この会社で上に行くためには必要な結婚よね」
秘書課の何人かで話しているのを偶然、聞いてしまった。
それが、あの人にとって間違いの無い選択。私もそう思った。
お昼休み、久しぶりに課長からのメール。
『今夜八時、来てくれるまで待ってる』
約束の場所、少し遅れて課長の車に乗り込んだ。
「婚約されたんですってね。おめでとう」
「僕は、そんなつもりはないよ。莉奈とやり直したいと思ってる」
「あなたはもっと上を目指せる人よ。部長どころか常務だって専務だって夢じゃないと思う。男の人にとって仕事で成功することは大切なことでしょう? 私のために後悔させたくないの」
「君は本当にそれでいいのか? 僕のところに来てくれる気はないのか?」
「専務のお嬢さんを幸せにしてあげて。あなたが初恋の人なんでしょう?」
「僕が嫌いになったのか? 莉奈……」
「愛してた……」
きっとそう。もう私たち終わってるの……。
「愛してた? なぜ? どうしてだ?」
「私、もう決めたの。会社を辞めて田舎に帰ることにしたから」
「莉奈……。君は本当にそれで幸せになれるのか?」
「私には空気のキレイな田舎が似合ってる。隆文さんのことは忘れない」
忘れられない。初めて本気で愛した人を……。愛されて過ごした時間を……。
「僕は君を傷付けただけだったね。何もしてやれなかった」
「そんなことない。愛される歓びを教えて貰ったわ。それから人を愛する切なさも……」
「莉奈……」
抱きしめられて、おでこにそっとキスされた。涙が零れた。
「あなたに出会えて幸せだった。さよなら」
車を降りて私は一人で歩き出した。黒沢課長、お幸せに……。
あの日……。
あの人と私の赤ちゃんと一緒に、隆文さんへの想いも何処かに消えて行った。
妊娠していたことは、生涯、話すことはないだろう。
半月後……。
私は退職願を出し、七月いっぱいで辞めることになっていた。
「莉奈がいなくなったら寂しくなるわ」
由美には最初に辞めることを伝えた。
同じ課の有志で送別会も開いてもらった。黒沢課長は山崎専務に急に呼び出されて欠席だった。
あの喫茶店のマスターには、引っ越しの挨拶に伺った。
「お世話になりました。実家に帰ることにしました」
「そうか、寂しくなるね。未来也、きょうは休みなんだ」
美香にも連絡を入れて一緒に食事をした。
「長野って良いところよね。きっと遊びに行くから」
そして七月も終わり、私は懐かしい実家に戻った。